マルセル・モースは『贈与論』において、「贈与をめぐる3つの義務」を提示した[8]。
贈り物を与える義務 - 動機は様々だが、先例や慣習といった暗黙の圧力や、受贈者が自分と他の贈与者候補を比量した時の結果を恐れる心理から発生する義務感によって贈られる。人は意識的、無意識的に受贈者から見返りを回収することを期待する。
それを受ける義務 - 贈り物を受けることで債務意識が生じる。しかし、贈り物を拒むことは人間関係を築く上で禍根を残すこともある。そのため、贈り物を受けることは関係を維持するための基本的なマナーとなる。
お返しの義務 - 「貸し」「借り」を作ったままでは双方が落ち着かないのでお返しをする。こうした受贈者に生じる返礼の義務感を互酬性(reciprocity)とも呼ぶ。
のちに、モーリス・ゴドリエは第4の義務として「神々や神を代表する人間へ贈与する義務」を追加した。歴史を遡るほど人々の生活の中で第4の義務の比重は高くなる。 人類学者のブロニスワフ・マリノフスキはトロブリアンド諸島の部族が持つクラという交易の風習を研究し、その贈答・交換の儀式が、社会関係の形成や維持に貢献しているとした[9]。マルセル・モースはクラやポトラッチといった贈与習俗を調査・研究した上で、売買という経済活動の起源は単純な物々交換ではなく、贈り物の提供・受容・返礼という宗教的観念を背景とした儀礼にあるとした[10]。 柳田國男は日本人の贈答でなぜ食物が重視されるかを考察した。そしてその起源は、節や祝祭で神を祀り、その供物を人にも提供したことにある、すなわち食物としての贈り物は本来、神に対する供物であったとした[11]。和歌森太郎は柳田の考察を引き継いだ上で、まずは祭りの供物を神と祭祀に関わる者が共に食す神人共食思想があり、それが祭りに参加する人々も含めた共食へ広がり、人々の間でやりとりされる贈答という習慣につながったとし、また受け取った贈り物の一部を返す習俗はこの共食思想の名残とした[12]。
民俗学的考察
禁止
1941年 - 戦時色が強くなった日本では歳暮、中元等の贈答廃止運動が行われた[13]。
脚注音楽ライブ会場のプレゼントBOX(日本)[脚注の使い方]^ ほかにも、次のような目的・動機で贈り物がされることがある。
富の再分配[要出典]
同調の確認(贈ること自体が目的の相互贈与)[要出典]
集合的無意識[要出典]
^ 形式的・表層的な "お返しをする日" が設定されていないので、フランスでは女性は、"私、プレゼントを贈られっぱなしだわ"、"何か、お返ししなくては..."、"お金で物を買ってお返しするのではなく、代わりに男性に "何か" をゆるしてあげようかしら? キス...? それとも...?"などと感じることになる。これはこれで、ロマンスが進展するきっかけともなる。
出典^ 中沢新一『愛と経済のロゴス』講談社〈カイエ・ソバージュ III〉、2003年、38頁。
^ a b c https://www.wordreference.com/definition/present
^ https://pando.life/nishimura/article/54638
典拠管理データベース: 国立図書館
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