資治通鑑
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これは江戸時代に行われた明の陳仁錫の校訂本を元にしているようである[32]。また、清代に胡克家が復刻した「胡克家本」は現在もっともよく読まれている中華書局本『資治通鑑』の底本となっている。中華書局本が出版される前は山名本や百衲本が研究によく用いられていたと間野潜龍は語っている[33]。通行本の中華書局本では、「胡克家本」を元に百衲本(紹興本)や『通鑑紀事本末』などの諸本で校訂が行われており、版本の異同は7000箇所に及ぶという。
近年刊行された版本

近年の日本・中国では多数の『資治通鑑』が発売されている。ここでは代表的な版本のみを挙げる。

百衲本『傅搶テ藏百衲本資治通鑑』広西師範大学出版社、2023 出版説明によると「紹興本」系の諸本をまとめたものらしい。

山名本(和刻本, 山名留三郎訓点本, 東京:鳳文館, 1884、復刻:
汲古書院, 1973, 再版2000)

中華書局本 『資治通鑑』 中華書局 初版1956年

『景印文淵閣四庫全書』第304冊?第310冊、第311冊目録他(台北:台湾商務印書館, 1983-1986)

日本語訳書

現代日本語訳の全訳はまだなく、漢文書き下しの「続国訳漢文大成」本が唯一の日本語全訳となっている。

加藤繁公田連太郎訳註 『國譯資治通鑑』〈全4冊組〉、(ソウル:景仁文化社、1996年)‐ 昭和初期に全16冊で出された漢文読み下し「続国訳漢文大成」の改訂本

複製本『国訳漢文大成 続経子史部』(第9巻?第14巻:日本図書センター、2000年)、本文は12巻目まで


頼惟勤石川忠久ほか編訳 『資治通鑑選』(平凡社中国古典文学大系 第14巻〉、初版1970年、復刊1994年)、現代語抄訳。294巻全巻の史論部分のみを抜粋して訳したもの。

田中謙二編訳 『資治通鑑』(ちくま学芸文庫、2019年)、これも現代語の抄訳。時代ごとに4つの部分(戦国の智瑶の滅亡・後漢の党錮の禁・南北朝の侯景の乱・唐の安史の乱)を紀事本末体で訳している。

旧版 『中国文明選1 資治通鑑』(朝日新聞社、1974年)


徳田隆訳 『徳田本 全訳資治通鑑』(アーティスタ社)、2014年 書籍版は1巻のみ、その後は2019年の22巻まで電子書籍で刊行。戦国時代から後漢末まで訳されている。

索引

佐伯富『資治通鑑索引』(東洋史研究資料叢刊 3)(1961年)

関連項目

毛沢東 - 資治通鑑は毛沢東の生涯を通じての愛読書として知られる[34][35]

外部リンク

www.guoxue.com ⇒
資治通鑒 原文(簡字体)

『資治通鑑』邦訳計画 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)

注釈^ 柳田節子・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『資治通鑑』 - コトバンク
^ 松枝茂夫ほか編、自由国民社「杉山文彦「資治通鑑」」『中国の古典名著総解説』1990年。 
^ a b 杉山 1990.
^ 稲葉一郎 1991.
^ 藤堂明保『学研 漢和大字典』「中国の名著」の項より
^ (岡田英弘『世界史の誕生』筑摩書房〈ちくまライブラリー〉、1992年、114-116 「正史の欠陥」の要旨頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4480051732国立国会図書館書誌ID:000002187436。 )。なお、高島俊男はこのような貴族の軍人卑賤視について、伝統的に中国では軍人の地位が低く、近年でも中国共産党の軍人・朱徳が親に軍隊に入りたいと言ったところ、「お前は勉強のし過ぎで、頭がおかしくなったのか?」と本気で心配され、自分は正気であると答えたところ家を追い出されたという話を取り上げている。高島『三国志きらめく群像』ちくま文庫2001。
^ 以上、(稲葉一郎「<論説>『歴年図』と『通志』 : 『資治通鑑』の成立過程に関する一考察」『史林』第74巻第4号、史学研究会 (京都大学文学部内)、1991年7月、461-483頁、CRID 1390853649776443264、doi:10.14989/shirin_74_461、hdl:2433/239134、ISSN 0386-9369。 )によった。
^ 洪邁「容斎四筆・巻十一・冊府元亀」の項。『容斎随筆』(唐宋史料筆記)所収。中華書局・2005
^ 洪邁2005
^ 江上波夫『近代日本漢學家:東洋學的系譜』所収の砺波護「桑原隲蔵」によると、桑原は『史記』『資治通鑑』を研究の主眼としたという
^ 桑原隲蔵「支那人間に於ける食人肉の風習」『東洋学報』第14巻第1号、東洋文庫、1924年7月、1-62頁、CRID 1050845763444749824。 
^ これはかなり司馬光の意図的なもので、友人に出した手紙(陳夢雷『古今図書集成』理學彙編・第三百九十九巻。中華書局・巴蜀書社1986に引く『司馬光文集』に載せる「答范夢得」)に「詩賦等若止為文章詔誥,若止為除官及妖異,止於怪誕詼諧,止於取笑之類,便請直刪不妨。或詩賦有所譏諷,詔誥有所戒諭,妖異有所?戒,詼諧有所補益,並告存之。」と書いている。
^ 『文献通考』原文は「致堂胡氏(胡寅)曰、又數應詔上書,論新法之害,小人欲中傷之…今讀其書,蓋自唐及五代,采取微冗,日月或差,良有由也。尚有讒口,又況矯世拂俗,興復先王之治者哉!嗚呼悲夫!」『文献通考』の引用は陳夢雷『古今図書集成』理學彙編・第三百九十九巻。中華書局・巴蜀書社1986によった。原漢文。
^ 陳1986
^ 稲葉1981
^ 唐紀開元十二年 第212卷 唐紀二十八の音注。中国語版ウィキペディアが音注の序と書いているのは誤り。
^ 『宋史』薛昂伝によると薛昂は王安石の新法党の人物で歴史書嫌いで有名だったという。『続資治通鑑』北宋紀 第八十五巻・哲宗・紹聖四年条に「時薛昂、林自乞毀資治通鑑、?因策士,題引神宗所製序文以問,二人議沮,遂得不毀。」とある。
^ 陳1986
^ 陳1986
^ 陳1986
^ 三浦 国雄 著「資治通鑑」、加藤周一 編『改訂新版 世界大百科事典』JapanKnowledge、2014年。 
^ 『陸状元通鑑』は『四庫全書総目提要』史部巻四八・史部四・編年類存目によると科挙受験者の「あんちょこ」本であるらしく、「皆於司馬光書内鈔其可備科舉策論之用者,間有音注,然淺陋頗甚,亦寥寥不詳。」とけなされている。
^ a b 上田望「講史小説と歴史書 (1) : 『三国演義』,『隋唐両朝史伝』を中心に」『東洋文化研究所紀要』第130巻、東京大学東洋文化研究所、1996年3月、(97)-(180)頁、CRID 1390572174577787136、doi:10.15083/00027113、hdl:2261/2075、ISSN 05638089。 
^ 『陸状元通鑑』同様、『四庫全書総目提要』ではけなされている。詳しくは当該項目参照。
^ 杉山正明『中国の歴史8 疾駆する草原の征服者 遼 西夏 金 元』講談社文庫
^ 『四庫全書総目提要』史部三・編年類には「是書排輯歴朝事蹟,起自黄帝,迄於明代。編年紀載,綱目相從。目所不該者,則別為分註於其下,而音切訓詁,典故事實,有關考證者,亦詳列焉。」としている。考証の例としては、?良?越の続き柄が正史には記されていないのを「?越は?良の弟である」としているなどである。


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