資治通鑑
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ただ、劉邦の白蛇を斬る話のみ、後に復活させている[14]

また司馬光は、当時の正史が制度史・経済史を軽視していたことを非常に嘆いており、資治通鑑では制度の変遷、経済史、天文、地理といった百科全書的な記載も多くしている[15]。注を行った胡三省は司馬光の百科全書的な記載に驚嘆し、「温公の通鑑を作るや、特にまた治乱の跡を紀すのみならんや。礼楽・暦数・天文・地理に至っては尤も其の詳を致す。通鑑を読む者は飲河の鼠の如し。各おの其の量を充たすのみ。」[16]と述べている。つまり、黄河にネズミが口をつけて水を飲み、自分が必要な量の水を飲んだら満足して帰るようなものだ、そして河はいつまでも尽きることがないというのである。

本書の作製方法としては、可能な限りの資料を収集し、それを年月日に整理し直して一つの一大資料集(長編とも呼ばれた)を造り上げるという第一段階。次いでその大資料集を下に、司馬光が治世に役立つもののみを択び取り、『資治通鑑』として完成させるという第二段階があった。

このうち、第一段階は司馬光自身が全て行ったのではなく、漢代はその専門家劉?(当時の著名な学者であった劉敞の弟)が、唐代は司馬光の弟子の范祖禹が担当し、最も難関とされた南北朝時代は当時の史学研究の第一人者劉恕が担当した。そのため、当時としては最も優れた歴史編纂の一つとなった。なお劉恕の史料収集は余りに完璧であったため、司馬光はただ出来上がったものを手にするだけで、自分では何もしなくてもよかったと言わしめたほどである。

司馬光はこの書を編纂するに当たって、編年体を取ったことからも、春秋の書法を相当程度意識している。これらは彼の文集に残る諸書の記述や、当時の著名な春秋学者であった劉敞(劉?の兄)への書簡のやり取りなどからも確認することができる。また、考証が必要な資料に関しては、別に『通鑑考異』30巻としてまとめられている。同様に、年表として、『通鑑目録』30巻も用意されている。
受容

北宋時代は『資治通鑑』はそれほど喜ばれず、司馬光が知人に読ませたところ居眠りを始めたほどだったという。また、前述のような革新性を持つ史書だったために、司馬光のやり方を快く思わない者たちが批判をしており、司馬光の政敵だった王安石一派の新法党は「『資治通鑑』は政府批判の書だ」と言い出し、まるで認めていなかった。司馬光没後に版木を叩き壊そうとする薛昂・林自なる者さえもいたが、皇帝の序文があったので版木は破壊を免れたという[17]

南宋になると知識人の間で『資治通鑑』は読まれるようになったが、朱熹は正統について問題があると『資治通鑑』を批判している[18]

むしろ金・元のような征服王朝では『資治通鑑』が大変喜ばれ、金が北宋の首都を占領したときに版木を持ち帰り、金の世宗や元の世祖クビライは『資治通鑑』愛読者であった[19]。金の世宗は「近ごろ『資治通鑑』を読むと、中国歴代の興亡が実によく分かり、非常に勉強になる。古の良史より勝っている」と絶賛した。またクビライは賈居貞という学者に北方遠征中のパオの中で『資治通鑑』を講義させており、後に『資治通鑑』の略本(通鑑節要)をモンゴル語に翻訳させ、モンゴル族の優秀な青年を集めて『通鑑節要』をモンゴル語で学ばせたという[20]
資治通鑑の影響を受けた史書

本書が以後の中国史学界に与えた影響は非常に大きく、同じく編年体の歴史書や、編年体の欠点を補うものとしての紀事本末体の歴史書が相次いで編纂された[21]

これら資治通鑑の影響を受けた史書には大きく分けて2つの系統がある。まず、朱熹の『資治通鑑綱目(中国語版)』のほか、袁枢『通鑑紀事本末』のようなダイジェスト本(略本)の系統である。通鑑は浩瀚であるために手頃なダイジェスト版が南宋の頃から『陸状元通鑑』など複数存在していた[22]この『資治通鑑綱目』系の本は「綱鑑」(こうかん)と呼ばれ、巷の講釈師などがよく種本として用いた。したがって『三国志演義』・『隋唐演義』などの演義小説ではしばしば資治通鑑の略本「綱鑑」や、あるいは『資治通鑑』本編が引用されることがあると、上田望は指摘している[23]

また、『十八史略』も正史と資治通鑑をミックスしたダイジェスト本の一つである[24]。『十八史略』を増補した編集者の劉?は『資治通鑑』の略本を出版していた業者の一人であったことも上田は指摘した[23]

もう一つの系統は李Z『続資治通鑑長編』・畢?続資治通鑑』・黄以周・秦?業(中国語版)等『続資治通鑑長編拾補』など、『資治通鑑』の続編を意図し、『資治通鑑』で書かれた前の時代、もしくはその後の時代の歴史を通鑑にならって書くものである。例えば陳?の『通鑑続編』は、太古の歴史と王朝の歴史を編年体で書いている[25]

後世になると2つの系統をまとめた『通鑑輯覧』・『靖献遺言』のような史書も書かれるに至った。『通鑑輯覧』は清の乾隆帝の勅撰で、歴史学者の趙翼らに命じて通鑑に加えて太古から明滅亡までの歴史を資治通鑑及びその続編の書を元にまとめ、細かい訓詁・典故・考証を付したものである[26]

『通鑑輯覧』を元に、更に『通典』などを元に制度面を補ったのが那珂通世の『支那通史』である。ただし『支那通史』は宋滅亡で終わっている[27]。『靖献遺言』は『資治通鑑』を元にしているが綱鑑系史書・正史でかなり補っており顔真卿文天祥ら忠臣七名の事績を述べたもので、日本の幕末の志士はこぞって読んでいる[28]

また、宋末初の胡三省による本書に対する注釈(『資治通鑑音注』、略して「胡注」という)は、記事を補正した上に、さらに異なった史料をも提供しており、本書を読む上での必読の文献であり、『資治通鑑』に付された多くの注の中でも、もっとも優れたものである[29]
構成.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。資治通鑑

全294巻。

周紀(5巻)

紀(3巻)

紀(60巻)

紀(10巻)

紀(40巻)

紀(16巻)

紀(10巻)

紀(22巻)

紀(10巻)

紀(8巻)

紀(81巻)

後梁紀(6巻)

後唐紀(8巻)

後晋紀(6巻)

後漢紀(4巻)

後周紀(5巻)

周紀

巻001
威烈王23年 - 烈王7年(BC 403-BC 369)

巻002:顕王1年 - 顕王48年(BC 368-BC 321)

巻003:慎?王1年 - 赧王17年(BC 320-BC 298)

巻004:赧王18年 - 赧王42年(BC 297-BC 273)

巻005:赧王43年 - 赧王59年(BC 272-BC 256)

秦紀

巻006
昭襄王52年 - 始皇帝19年(BC 255-BC 228)

巻007:始皇帝20年 - 二世皇帝1年(BC 227-BC 209)

巻008:二世皇帝2年 - 二世皇帝3年(BC 208-BC 207)

漢紀

巻009
前漢太祖:高帝:1年 - 太祖:高帝:2年(BC 206-BC 205)

巻010:太祖:高帝:3年 - 太祖:高帝:4年(BC 204-BC 203)

巻011:太祖:高帝:5年 - 太祖:高帝:7年(BC 202-BC 200)

巻012:太祖:高帝:8年 - 恵帝:7年(BC 199-BC 188)

巻013:高后:1年 - 文帝:前2年(BC 187-BC 178)

巻014:文帝:前3年 - 文帝:前10年(BC 177-BC 170)

巻015:文帝:前11年 - 景帝:前2年(BC 169-BC 155)

巻016:景帝:前3年 - 景帝:後3年(BC 154-BC 141)

巻017:武帝:建元1年 - 武帝:元光1年(BC 140-BC 134)

巻018:武帝:元光2年 - 武帝:元朔4年(BC 133-BC 125)

巻019:武帝:元朔5年 - 武帝:元狩4年(BC 124-BC 119)

巻020:武帝:元狩5年 - 武帝:元封1年(BC 118-BC 110)

巻021:武帝:元封2年 - 武帝:天漢2年(BC 109-BC 99)

巻022:武帝:天漢3年 - 武帝:後元2年(BC 98-BC 87)

巻023:昭帝:始元1年 - 昭帝:元鳳6年(BC 86-BC 75)

巻024:昭帝:元平1年 - 宣帝:地節2年(BC 74-BC 68)

巻025:宣帝:地節3年 - 宣帝:元康4年(BC 67-BC 62)

巻026:宣帝:神爵1年 - 宣帝:神爵3年(BC 61-BC 59)

巻027:宣帝:神爵4年 - 宣帝:黄龍1年(BC 58-BC 49)

巻028:元帝:初元1年 - 元帝:永光2年(BC 48-BC 42)

巻029:元帝:永光3年 - 元帝:竟寧1年(BC 41-BC 33)

巻030:成帝:建始1年 - 成帝:陽朔2年(BC 32-BC 23)

巻031:成帝:陽朔3年 - 成帝:永始3年(BC 22-BC 14)

巻032:成帝:永始4年 - 成帝:綏和1年(BC 13-BC 8)

巻033:成帝:綏和2年 - 哀帝:建平1年(BC 7-BC 6)

巻034:哀帝:建平2年 - 哀帝:建平4年(BC 5-BC 3)


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