貴乃花光司
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弟にわずかに遅れて入幕した兄若花田とともに活躍した頃に起こった平成初期の大相撲ブームは「若貴フィーバー」と呼ばれた。ブームの頃には若貴兄弟が女性誌の表紙を飾り、女性週刊誌や写真週刊誌には毎号のように記事が掲載され、スポーツ新聞も相撲専門の新聞のようになり、コンビニに相撲専門誌が置かれているほどであった。世話人の友鵬は当時について「出待ちの女性ファンが若貴に群がり場所入りする力士がもみくちゃになることもあったため、柵を作ってファンの接近を制限することもあった。今(2017年時点)のファンは整然として行儀が良い」という内容の証言をしている[20]

一日20番の申し合いをこなし[注釈 4]、下ろしたばかりのまわしがその当日の稽古が終わるころには汗が染み込むなどの猛稽古ぶり、勝負に負けて土俵に落ちる際には顔から落ちる[注釈 5]などの勝負師ぶりを見せ、その後も順調に成長していった。稽古熱心さに関しては井筒部屋の元幕下・神光で実業家の村上光昭が「土俵に足を入れたら五時間、体を休めていることは一度もなかった」と2017年の座談会で明かしている[21]

平幕に下がった1992年1月場所は14勝1敗で19歳5か月での幕内初優勝を果たした。このときは、明確な相撲の型はないものの強い精神力と19歳とは思えない落ち着きぶりを絶賛された[22]。この場所は伯父・二子山の理事長としての最終場所であり、伯父から甥への賜杯授与が実現した。14日目の打ち出し後に貴花田を乗せていたハイヤーが玉突き事故の被害に遭って付け人2人が体を強打して病院に運ばれたが[22]、貴花田は無事であった。幕内最高優勝達成者恒例の祝杯は、未成年であったためウーロン茶で行った[23]。優勝した千秋楽の翌日、父の勧めで若貴フィーバーで骨休めにならない国内を離れ、サイパンへ出掛けている。この頃は兄弟関係は良好だった[24]。1992年9月場所は小結で14勝1敗とし2度目の幕内優勝、翌11月場所は関脇に戻り10勝5敗。1992年は60勝30敗と6場所制定着後最少勝ち星(当時)ではあったものの史上最年少の年間最多勝を受賞した。

1993年1月場所は関脇に並ぶ琴錦、武蔵丸とともに「大関取り」[25]の場所となった。この1月場所は11日目で平幕相手に3敗を喫した時点で一度は大関昇進は「破談」[26]とされた。その後連勝し11勝3敗と盛り返すも、千秋楽結びの一番で横綱昇進を賭けていた曙との直接対決ではわずか2秒余りで圧倒され完敗[27]、11勝4敗の成績に終わった。師匠の12代藤島は千秋楽終了後に「もう、(昇進は)だめでしょう。仕方がないです」[27]と語ったが、直前3場所をすべて三役の地位で合計35勝を挙げたことで、場所後の理事会で大関昇進が決定した(このとき、同時に曙も横綱昇進が決定した)。20歳5か月での大関昇進は北の湖が持っていた最年少記録を更新するものであった[28]。これを機に、四股名を父と同じ貴ノ花に改める。昇進伝達式では「謹んでお受けします。今後も不撓不屈の精神で相撲道に精進いたします」と述べた[29]
大関時代

新大関で迎えた3月場所は11勝4敗、次の5月場所では14勝1敗の成績で3回目の優勝を果たし、翌7月場所で初の綱獲りを目指すこととなり、千秋楽に13勝2敗で曙太郎・兄若ノ花らとの優勝決定戦に進出した。しかし曙は若ノ花を押し倒し、貴ノ花を寄り倒して破り、貴ノ花は優勝同点に終わる。場所後に日本相撲協会から横綱審議委員会への諮問が無かった為、横綱昇進はならなかった。この時横綱昇進を果たしていれば20歳11ヶ月での横綱昇進となり、北の湖の記録である21歳2ヶ月での昇進より早いスピード横綱昇進記録1位の座を射止めていたことになる[30]

続いて9月場所は初の全勝優勝を狙った曙を千秋楽で下して阻止。曙に次ぐ12勝3敗の優勝次点で綱獲りを再び繋いだが、翌11月場所は体調不良により7勝8敗と負け越して綱獲りは振り出しに戻る。1994年1月場所では21歳5か月での大関角番も史上最年少の記録となった。この1月場所では14勝1敗で4回目の幕内最高優勝で復活。同年の3月場所で綱獲りを再び期待されるが、11勝4敗で優勝を逃し綱獲りは失敗。5月場所では14勝1敗の成績で5回目の幕内最高優勝を果たすが翌7月場所では11勝4敗に終わり、またしても綱獲りは失敗に終わった。

次の9月場所では初の全勝優勝(史上最年少の全勝優勝)。場所後に協会は横審に貴ノ花の横綱昇進の諮問をし、約2時間の審議の末、最後は無記名投票の結果11人の委員中6人が賛成したが、横審の内規である「3分の2以上の賛成」に及ばず、横綱昇進は否決された[31]。審議前から反対を明言していた一力一夫は「諮問があるとは思っていなかった。先場所は準優勝でもないのに、どこを見ても内規に則していない。そのことは理事長も百も承知のはず。内規を無視する覚悟を決められたということでしょう。」[32]と協会の態度を強く批判し[注釈 6]、反対票を投じたと明言した加藤巳一郎は「協会の立場、本人の成長ぶりはよくわかるが、横綱は絶対的なものでないといけない。連続優勝できないということは何か欠けるものがあるからだ。」[31]と述べ、他の反対票を投じた委員[注釈 7]も「横綱になれる力を充分持っているのだから、あせる必要がない。」[31]としてもう一場所様子を見るよう主張した[注釈 8]

それでも、貴ノ花から「貴乃花」と改名して迎えた翌11月場所でも他を全く寄せ付けず、双葉山以来の「大関で2場所連続全勝優勝」を果たし、先場所からの30連勝も達成した。千秋楽結びの一番での曙との一番は49秒の死闘の末に、土俵際で貴乃花が右上手投げで逆転勝利し[33]、「これぞ、名勝負というのだろう。」「角界の第一人者の座をかけた攻防はまさに互角。一年納めの場所を締めくくるにふさわしい死闘だった。」と称賛された[34]
横綱時代

11月場所後の横審ではわずか10分の審議で、全会一致で横綱昇進を答申した[35]。11月23日に行われた昇進伝達式の口上で「謹んでお受け(致)します。今後も『不撓不屈』(自身大関昇進の伝達式でも用いた)の精神で、力士として相撲道に『不惜身命』を貫く所存でございます」と使者に答えた[36]。『不惜身命』の語は、貴乃花を贔屓にしていた藤真利子を通して緒形拳が提案したものである[37]。尚横綱土俵入りは「雲龍型」を選択、当時同じ二所ノ関一門の横綱だった18代間垣(第56代横綱・若乃花)と13代鳴戸(第59代横綱・隆の里)の二人が主に指導した。

新横綱で迎えた1995年1月場所は初日に武双山に敗れ、1994年9月場所初日から続いた連勝は30でストップした。8日目に魁皇にも敗れたが、14日目に1敗の武蔵丸を破り、千秋楽は13勝2敗で並んだ武蔵丸との優勝決定戦を制し、自身初の3連覇を達成。新横綱の優勝は15日制になってからは、大鵬隆の里以来史上3人目。3月場所は曙との13勝1敗同士の相星決戦となり、敗れて4連覇は逃したが、翌5月場所でも2場所連続で曙との相星決戦となり、雪辱を果たして14勝1敗で優勝した。7月場所では14日目に優勝を決めたが、千秋楽に曙に敗れ、13勝2敗で終えた。翌9月場所でも14日目に優勝を決め、千秋楽は曙を押し出しで破り、自身2度目の3連覇を全勝優勝で飾った。11月場所は初日に琴稲妻、7日目に土佐ノ海に取りこぼして早くも2敗。中日以降は順調に白星を重ね、14日目まで12勝2敗で兄の若乃花と共に優勝争いのトップに立った。千秋楽では若乃花が武双山に敗れ、自身も武蔵丸の注文相撲に屈したため12勝3敗同士の史上初の兄弟優勝決定戦が実現。若乃花の右四つからの下手投げで敗れ、4連覇を逃した。

この優勝決定戦の前日に二子山から兄に勝ちを譲るように仄めかされたとする一部報道、またこれを切っ掛けに貴乃花が父の11代二子山への思慕を失ったとする分析も存在したが[38]、貴乃花本人は協会退職後の自叙伝でこれを「あり得ません」と否定し「やりにくさを感じた自分の未熟さが、そのまま結果に出たということです。兄の勝敗がどうあれ、本割に勝って優勝を決められなかったことも含めて、まだまだ精神をコントロールできていないと思い知らされました」と述べている[39][40]

1996年1月場所は13日目まで全勝で優勝争いのトップを走り、1敗で同部屋の貴ノ浪が追っていたが、14日目に魁皇に敗れ初黒星を喫し、貴ノ浪が1敗を守ったため、両者1敗で並んだ。千秋楽は14勝1敗で並んだ貴ノ浪と優勝決定戦に進出したが、河津掛けで敗れ、横綱昇進後初めて2場所連続で優勝を逃した。貴闘力の証言によれば、貴乃花は貴ノ浪に敗れたあと、風呂場で桶を叩きつけて「チクショー」と声を上げ、真剣勝負に行って負けたことを悔しがっていたという[41]。3月場所は3日目に旭豊に敗れ金星を許すも、その後は白星を重ねて14日目に優勝を決めた。千秋楽も武蔵丸を寄り切って14勝1敗で終えた。5月場所は6日目に剣晃に敗れ金星を許すも、その後は白星を重ね、千秋楽に2敗で追っていた若乃花、貴ノ浪が共に敗れ3敗となったため、自身の取組前に13回目の優勝が決定。結びの一番では曙を下手出し投げで破り、14勝1敗で終えた。7月場所は3日目に琴の若に敗れ自身7個目の金星を許し、その後も13日目に魁皇にも敗れ2敗に後退。1敗の曙を追う展開となったが、14日目に武蔵丸を寄り切って2敗を守り、曙が若乃花に敗れ、2敗で貴乃花、曙、貴ノ浪が並んだ。千秋楽では貴ノ浪が魁皇に敗れ優勝争いから脱落したため、結びの一番は曙との12勝2敗同士の相星決戦となり、寄り倒しで制して輪島に並ぶ14回目の優勝を果たした。


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