財産
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また共同社会が適当と思う人の手に立法権を委ねる時には、彼等は自分達が公布された法律に支配されるべきであって、さもなければ自分達の平和、安定、私有財産は自然の状態の下において経験した同じ不安の状態に相変らずとどまることになるだろうという信頼感を抱いている」[57]と彼は述べている。
デイヴィッド・ヒューム (18世紀)

これまで述べた者達とは対照的に、デイヴィッド・ヒュームは比較的安定した社会構造の中で比較的平穏な暮らしをしていた。ところが、宗教に関する彼の論争的な著作と経験主義に駆り立てられた懐疑論的な認識論のため、人々は法と財産に関するヒュームの見解を非常に保守的だと見なすことがあった。

ヒュームの見解は、社会的慣習に支持された既存の法律が保護しているため、その範囲で財産権が存在するというものだった[58]。しかし、彼は貪欲さを「産業の拍車」と言及するなど一般的な主題に幾つかの実用的な助言を提供し、「絶望を生むことで産業を破壊してしまう」過度な課税に懸念を表明した。
アダム・スミス (18世紀)「市民政府は、財産保全のために制定される限り、実際のところは富裕層を貧困層から守るため、あるいは財産を持っている者達を全く持っていない者達から守るために制定されたものである。—アダム・スミス国富論』1776年「誰もが自分の労働で持つ財産は、他のあらゆる財産の起源的な基盤なので、それは最も神聖かつ不可侵である。貧しい人の相続財産は彼の両手の強さと器用さにあり、隣人を傷つけることなく彼がこの強さと器用さを彼が適切だと思う方法で使うのを妨げることは、この最も神聖な財産の明白な違反である。—アダム・スミス『国富論』

19世紀半ばまでに、産業革命はイギリスとアメリカを変革した。その結果、財産に関わる従来の概念が土地だけでなく貴重品を含むものへと拡張された。フランスでは1790年代の革命によって教会と国王が従来所有していた土地が大規模に没収された。君主制の復活(王政復古)は、以前の土地を返還することで所有を喪失した者達からの不満をもたらした。
カール・マルクス (19世紀)

マルクスの著書『資本論』の第7篇「資本の本源的蓄積」にはリベラル(自由主義)な財産権理論の批判が含まれる。封建法の下では、貴族がその領主にあったように、農民は自分の土地に法的権利が与えられたとマルクスは指摘する。マルクスは、多数の農民が自分達の土地から排除されて、次に貴族によって収用された幾つかの歴史的事例を挙げている。この収用された土地はその後、商業事業(羊飼い)に使われた。マルクスはこの「本源的蓄積」をイギリス資本主義の創造に不可欠なものと見なしている。この出来事は、生きていくのに賃金のために働かざるを得なくなった土地のない階級をかなりの規模で生み出すことになった。マルクスは、財産の自由主義理論は暴力的な歴史的過程を隠す「牧歌的な」おとぎ話だと主張している。
シャルル・コンテ: 合法的な財産の起源

弁護士のシャルル・コンテは1834年の著書『Traite de la propriete(財産の協定)』にて、フランス復古王政に反応して私有財産の合法性を正当化しようとした。ダヴィド・ハルトによれば、コンテには要点が3つあった。「第一に、何世紀にも及ぶ国家による財産所有への干渉は、正義と経済的生産性に悲惨な結果をもたらしてきた。第二に、その財産は誰にも害を及ぼさないような方法で出現する場合は合法である。第三に、歴史的には全てではないが進化した幾つかの財産は合法的であり、現在の財産分配は合法的および非合法的な所有権が複雑に絡んだものである」[59]

コンテは古代の狩猟採集社会における土地のような、希少でない物品からなる共同の「国家的」財産に肯定的だった。農業は狩猟採集よりもはるかに効率的だったので、誰かが耕作向けに割り当てた私有財産(土地)は残りの狩猟採集民に一人当たりの土地をより多く残しており、それゆえ彼らに害を及ぼさなかった。したがって、この種の土地収用はロックの但し書き (Lockean proviso) に反しておらず「まだ十分に、良いものが残っていた」との主張である。後年の理論家は、コンテの分析を財産の社会主義的批判に対して使用している。
ピエール=ジョゼフ・プルードン: 財産は窃盗詳細は「:en:Property is theft!」を参照

1840年の論文『財産とは何か?』の中で、ピエール・ジョゼフ・プルードンは「財産は窃盗だ!」と答えている。天然資源において、彼は「法律上の」財産と「事実上の」財産の2種類を判定し、前者は違法だと論じている。プルードンの結論は「財産は公正たるべきあり可能ならその状態に対して必然的に平等でなければならない」である。

天然資源における労働の産物を財産(用益権)としたプルードンの分析はより微妙なものである。彼は、土地自体は財産たり得ず人類の管財者として個々の所有者によって維持されるべきであり、労働の産物が生産者の財産たるべきだと主張している。プルードンは、労働なしに得られた富は何であれその富を生み出すのに労働した人々から盗まれたもの、という道理を説いた。プルードンによれば、労働の産物を雇用主に引き渡す(それで雇用主が賃金を払う)という自発的な契約でさえ盗難であった。

プルードンの財産論は世に出始めた社会主義運動に多大な影響を与え、プルードンの思想を修正したミハイル・バクーニンのような無政府主義の理論家に啓蒙を与えた。
フレデリック・バスティア: 財産は価値

フレデリック・バスティアの財産に関する主な論文は、1850年の著書『経済調和論』の第8章に見られる[60]。伝統的な財産理論から根本的な見直しを行い、彼は財産を物理的対象ではなく、むしろ物事に関連している人々の関係だと定義した。したがって、コップ一杯の水を所有しているという発言は「私はこの水を正当に他人に贈与したり交換したりできる」の短縮形にすぎないという。本質的に、人が所有するものは対象物ではなく対象物の価値である。「価値」についてバスティアは「市場価値」を意味するとして、これは実用性とは全く異なるものだと次のように強調している「相互関係において、我々は物事の実用性の所有者ではなく価値の所有者であり、そして価値とは相互的な役務から生み出された評価である」。

バスティアは、技術進歩と分業の結果として共同体の富の在庫は時間経過と共に増加すると理論づけた。未熟練の労働者が例えば小麦100リットルを買うために費やす労働時間は、歳月が経つほど(熟練度向上により)減少し、したがって「無償」の満足感に至る[61]。かくして、私有財産は絶え間なく自らを破壊し、共同体の富に変わっていく。 私有財産に対する共同体の富の割合の増加は、人類の平等に向かう傾向を生むという。

このように私有財産が共同体領域に変化したからといって、私有財産が完全に消滅するわけではないとバスティアは指摘する。それどころか、このことは人間が進歩するにつれて新たにより洗練された要望と欲求を継続的に生み出す理由であると述べている。
ローマ教皇レオ13世

レオ13世 (ローマ教皇)は、1891年に発表したレールム・ノヴァールムにて「人が賃金労働に従事する時、人を仕事へ駆り立てる理由や動機は財産を得ること、その後それを自分の所有物として保持することであるのは確かに否定できない」と記した。
アンドリュー・J・ガランボス: 財産の精緻な定義

天体物理学者で哲学者のアンドリュー・J・ガランボス(1924-1997)は、財産を人の生命とその人生における非生殖的な全ての派生物と定義した。

ガランボスは、財産が非強制的な社会構造に不可欠だと説いた。彼は自由を「あらゆる個人が自分の財産を完全に(100%)支配しているときに存在する社会的条件である」と定義した。ガランボスは、財産を次の要素を持つものと定義している[62]

原始財産、これは個人の生命である。

一次財産、これには観念や思考や行動が含まれる。

二次財産には、個人の一次財産の派生物である全ての有形および無形の所有物が含まれる。

財産とは、個人の人生における非生殖的なあらゆる派生物であり、これは子供が両親の財産ではないことを意味する[63]。上の定義に従えば、子供の生命は本人の「原始財産」であり、親や保護者が所有する財産ではない。

ガランボスは、実際のところ行政府は財産を保護するために存在しており、国家が財産を攻撃すると繰り返し強調した。例えば、国家は人々がそのようなサービスを望むか否かにかかわらず、税金の形でそのサービスへの支払いを要求する[注釈 15]。個人のお金は当人の財産なので、税金という形でのお金の没収は財産に対する攻撃である。徴兵制も同様に、人の原始財産に対する攻撃である。
現代的見解

自然人が財産を所有し契約を結ぶ権利を享受していると考えている現代の政治思想家は、ジョン・ロックについて2つの見方がある。一方はロック礼賛派で、ウィリアム・H・ハット(1956年)のように、ロックが「個人主義の本質」の土台を作ったことを称賛した。一方、リチャード・パイプスほかの人達はロックの議論を弱いと見なし、それへの過度な依存が近年の個人主義の理念を弱めていると考えている。パイプスは、ロックの著作がハリントンの社会学的枠組ではなく「自然法の概念に依拠していたため後戻りが特徴である」と書いている[要出典]。

エルナンド・デ・ソト (経済学者)は、資本主義市場経済の本質的な特徴が所有権と取引を記録する正式な財産体系における財産権の国家保護機能だと論じている。これら財産権と財産の法体系全体は、以下のことを可能にしている。

資産を保護する地域社会の協定からの個人の独立増大

明確で、証明可能で、保護可能な所有権

一国全体での財産規則と財産情報の標準化および統合

経済取引での不正行為に対する処罰の確実性向上に由来する信頼性増加

各企業の共有リスクと所有権および同リスクに対する保険でのより直接的な想定を可能にする、より公的で複雑な書面による所有権声明

より多くの物が融資の担保として機能できるため、新規事業向け融資の活用性向上

信用履歴や資産価値等に関する情報への容易なアクセスと信頼性向上

財産の所有権を文書化する声明の代替可能性、標準化、移動可能性の向上(これによって、各企業にとっての国内市場や、個人ほかの主体による複雑なネットワークを介した財産の容易な移動などの構造に関する道が開かれる)。

焼畑農業慣行の最小化による生物多様性の保護強化

デ・ソトによると、上記のすべてが経済成長を促進する[64]。学識者達は、財産または土地に金銭的価値を割り当てることによりコモディティ化することが伝統的な文化遺産を(特に先住民族から)奪ってしまう事を指摘して、財産が考慮される資本主義の枠組みを批判している[65][66]


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