財産
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彼は自己利益が共同体の無視につながるとして「誰もが自分自身のことを第一に考え、共同体の利益は殆ど考えない」[43]と論じた。さらに、財産が共同の場合は労働の違いから生じる先天的な問題がある、と次のように述べている。「もし人々が平等に苦楽を共有しないなら、多く働いて稼ぎの少ない人々は殆ど働かずに沢山貰ったり沢山消費する人達に必然的に不平を言うだろう。しかし実際のところ、複数の人達で一緒に生活してその全員と共同の関係になること、特に共同の財産を持つことは常に困難である。—アリストテレス、『政治学』1261b[44]

キケロは、自然法のもとに私有財産は存在せず人定法のもとでのみ存在すると考えた[45]小セネカは、人間が強欲になって初めて必要になるものを財産と考えた[46]。後にアンブロジウスがこの見解を採用し、ヒッポのアウグスティヌスでさえ異教徒が労働したことによる財産を唯一皇帝が没収できないことに不平を漏らした[47]
中世哲学「中世ヨーロッパにおける教会と国家」も参照

欧州全体にキリスト教が伝播し、教皇領が形成されて教会権力が絶大となる中世の半ばまで、私有財産に否定的な初期キリスト教思想は引き続き大きな影響力を持っていた。一方で、キリスト教権威と土地の封建支配をする諸国王権との権力争いも目立ち始め、中世後期には従来のキリスト教思想を一部修正する哲学者が現れるようになる。
トマス・アクィナス (13世紀)

グラティアヌス教令集という12世紀のカノン法は、人定法が財産を創造しているに過ぎないと主張し、ヒッポのアウグスティヌスによって使われたフレーズを繰り返した[48]トマス・アクィナスは財産の個人消費に関して同意したが、財産の私的所有が必要だと見いだす際に(初期キリスト教の)教父学的な理論を修正した[49]。トマス・アクィナスは特定の詳細規定があれば、以下の事を結論付けている[50]

外的な事物を所有するのは人間にとって自然である

自分のものとして物を所有することは人間にとって合法である

窃盗の本質は、他人の物を密かに取ることである

窃盗と強盗は別種の罪であり、強盗は窃盗よりも重大な罪である

窃盗は罪であり、また大罪でもある

しかし、必要性の圧迫を介して盗む(収用する)ことは合法である:「必要な場合、全ての物が共同体[注釈 13] の財産である」

近代哲学

西欧諸国が17世紀にアフリカほか新大陸への植民を次々と果たすと、貿易(商業)を重視して輸出超過の差額によって相手国の金銀を流入させ、自国の富を積み上げようとする重商主義が形成された。初期資本主義にあたる重商主義は、経済現象をいたずらに宗教的・倫理的に価値づけたりせず、それを客観的に因果論的に観察した。また、中世までキリスト教権威によって卑しいものだと非難されていた金儲けや商業を、経済の中心に引き上げ振興させていくことになった[51]

資本主義の台頭に伴って法人・個人による財産所有の意義が増してくると、中世までの批判的観点ではなく、キリスト教の再解釈から財産の妥当性を説明しようとする試みが見られるのも、近代西洋哲学の特徴である。例えばジョン・ロックが所有権を考察した『統治二論』では、第一論の大半がアダムの主権・アダムの君主権考察に割かれている[52]。 
トマス・ホッブズ (17世紀)

トマス・ホッブズの主な著作は1640年から1651年にかけて、清教徒革命の時期と重なって執筆された。彼自身の言葉によると、ホッブズの省察はキケロの著作から引用したフレーズ「万人に自分の所有物を与える」という思想から始まった。ところで彼は、どうやって万人が何らかの対象物をその人の所有物と呼びうるのか?に疑問を呈することで、以下の結論に至った。自分の所有物とは、領域内に明白な最強権力が1つ存在している場合にのみ、本当に自身の所有物になる事が可能で、(最強の)権力がそれを私の所有物として扱い、その地位を保護している[53]
ジェームズ・ハリントン (17世紀)

ホッブズと同時代のジェームズ・ハリントンは同じ問いに別の見解で反応し、彼は財産を自然だが避けられないと考えていた。『オセアナ』の著者である彼は、政治権力が財産分配の結果だ(原因ではない)と主張した最初の政治理論家だった可能性がある。彼は、起こりうる最悪の状況とは平民達が国家財産の半分を持っていて王室と貴族が残りの半分を握っている時で、不安定さと暴力に満ちた状況だと述べた。彼は、財産の大部分を平民が所有すれば遥かに良い状況(安定した共和国)が出現するだろうと示唆した。
ロバート・フィルマー (17世紀)

上述の2人と同世代のロバート・フィルマーは、聖書釈義を通じてホッブズとよく似た結論に達した。フィルマーは、王権制度が(キリスト教の説く)父性に似ていると述べた。すると人民は従順だろうと素行が悪かろうと未だに子であり、財産権とは父が子たちに分け与えたりする家財のようなもので、父のものは(子に分け与えた後でも)父の希望に応じて取り戻したり処分できたりする、と述べた。
ジョン・ロック (17世紀)

フィルマーの見解は17世紀当時の常識からも外れていて支持できないと、著書『統治二論』前半でアダムの君主権を考察しつつフィルマーに反論した次世代の哲学者がジョン・ロックである。

ロックが同書の第二論で提唱した財産権の自然権という定義は、西洋で恐らく最も普及した理論の一つとされている。彼は、創世記で神が自然の支配権をアダムを介して人間に与えた、というキリスト教的自然観[注釈 14]を発展させた。これによりロックは、人の労働と自然とが混ざる時に所有や財産価値という概念が起こることを、水や大地を例に挙げて説明している。

「泉の中を流れる水は万人のものであろうが、瓶の中の水がそれを汲出した人のものであることを一体誰が疑うだろうか? 自然の手許にあってはそれは共有物であり、すべての自然の子等に平等に属していたが、彼の労働がそこから取出したことによって、それは彼自身のものとなったのである。」「土地に煙草や砂糖が植えられたり、小麦や大麦が蒔かれている時と、同じ一エーカーの土地が何も耕作が施されずに共有地としておかれてある時の相違を考えてみれば、労働による改良がその土地の価値の大過半を形成することが分るだろう。」[55]

また彼は、人々が社会契約を結ぶことになる以前の社会を想定して「こういう状態の下に彼の私有財産を享受することは非常に危険であり、不安なので」あり、したがって「人々が結合して国家を組織し、政府の支配を受けようとする際の主要な大目的は、彼等の私有財産の保存にある」とした[56]。人々は、ロックも是認していた君主制を創設することになるが、その任務は選挙によって選ばれた立法府の意志を実行することであり、「人々が自然の状態の下に所有した権力を、自分達の加わる社会に譲渡するのはこの目的のためである。また共同社会が適当と思う人の手に立法権を委ねる時には、彼等は自分達が公布された法律に支配されるべきであって、さもなければ自分達の平和、安定、私有財産は自然の状態の下において経験した同じ不安の状態に相変らずとどまることになるだろうという信頼感を抱いている」[57]と彼は述べている。
デイヴィッド・ヒューム (18世紀)

これまで述べた者達とは対照的に、デイヴィッド・ヒュームは比較的安定した社会構造の中で比較的平穏な暮らしをしていた。ところが、宗教に関する彼の論争的な著作と経験主義に駆り立てられた懐疑論的な認識論のため、人々は法と財産に関するヒュームの見解を非常に保守的だと見なすことがあった。

ヒュームの見解は、社会的慣習に支持された既存の法律が保護しているため、その範囲で財産権が存在するというものだった[58]。しかし、彼は貪欲さを「産業の拍車」と言及するなど一般的な主題に幾つかの実用的な助言を提供し、「絶望を生むことで産業を破壊してしまう」過度な課税に懸念を表明した。
アダム・スミス (18世紀)「市民政府は、財産保全のために制定される限り、実際のところは富裕層を貧困層から守るため、あるいは財産を持っている者達を全く持っていない者達から守るために制定されたものである。—アダム・スミス国富論』1776年「誰もが自分の労働で持つ財産は、他のあらゆる財産の起源的な基盤なので、それは最も神聖かつ不可侵である。貧しい人の相続財産は彼の両手の強さと器用さにあり、隣人を傷つけることなく彼がこの強さと器用さを彼が適切だと思う方法で使うのを妨げることは、この最も神聖な財産の明白な違反である。—アダム・スミス『国富論』

19世紀半ばまでに、産業革命はイギリスとアメリカを変革した。その結果、財産に関わる従来の概念が土地だけでなく貴重品を含むものへと拡張された。フランスでは1790年代の革命によって教会と国王が従来所有していた土地が大規模に没収された。君主制の復活(王政復古)は、以前の土地を返還することで所有を喪失した者達からの不満をもたらした。
カール・マルクス (19世紀)

マルクスの著書『資本論』の第7篇「資本の本源的蓄積」にはリベラル(自由主義)な財産権理論の批判が含まれる。封建法の下では、貴族がその領主にあったように、農民は自分の土地に法的権利が与えられたとマルクスは指摘する。マルクスは、多数の農民が自分達の土地から排除されて、次に貴族によって収用された幾つかの歴史的事例を挙げている。この収用された土地はその後、商業事業(羊飼い)に使われた。マルクスはこの「本源的蓄積」をイギリス資本主義の創造に不可欠なものと見なしている。この出来事は、生きていくのに賃金のために働かざるを得なくなった土地のない階級をかなりの規模で生み出すことになった。マルクスは、財産の自由主義理論は暴力的な歴史的過程を隠す「牧歌的な」おとぎ話だと主張している。
シャルル・コンテ: 合法的な財産の起源


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