財産
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

また、財産相続については1898年に民法で公布され、施行された[35]。財産を有する側の各種権利がこうして保護される一方、持たざる側の保護は立ち遅れた。土地所有権に対する小作権はきわめて弱く、小作料(土地使用の賃貸料)に苦しむ農民が困窮するなか一部地主への土地集中が進み、寄生地主制が広範に確立した[36]

1921年(大正10年)になると、第一次世界大戦後の不況を受けて借りる側の借地法借家法が制定される。また、1930年代後半からの戦時体制では、食糧確保の必要性から耕作権の方が重視され[36]、農地の地主制は縮小していった。

第二次世界大戦に敗れた日本は、翌1946年(昭和21年)から行われた農地改革で、政府が各地の小作地を強制買収し、これを実際に耕作している小作人に低価格で優先的に売り渡した[37]。これにより従来の地主制は事実上解体され、戦後の日本では土地を所有する自作農が大半となった。農地改革と並び、戦後日本の経済体制を変革させる転機となったのがGHQ主導による財閥解体である。戦前に寡占的な地位を築いていた各産業の巨大企業が解体されたことで、従来は参入の難しかった分野にも新興企業が進出できるようになり[38]、日本がより競争的で民主的な市場経済を発達させるきっかけとなった。国内での市場競争が戦後の高度経済成長期を支え、1960年の池田内閣が打ち出した「所得倍増計画」によって日本の国民所得生活水準も上がり、1968年には国民総生産が世界2位に達するほどの戦後復興を果たした[39]

戦後は各国も国際貿易が経済成長に欠かせなくなり、特許や著作物といった知的財産を世界的観点から保護する必要性が増したことから、1970年に世界知的所有権機関が設立された。なお、日本では知的財産権が明治時代の文明開化によってもたらされ、1885年(明治18年)には特許制度に関する「専売特許条例」が公布された[40]。意外なことに、日本では財産の所有権を規定する民法よりも、知的財産の特許が約10年早く法的な後ろ盾を受けたのである。楽譜や写真を含む旧著作権法の制定は明治時代後期の1899年であるが、図書の版権に関して言えば1869年(明治2年)の出版条例で早くも保護規定が作られている。
西洋の宗教哲学的な視点「キリスト教における富」も参照

宗教指導者が「財産を沢山保有しなさい」と信者に向けて説くことは滅多に無い。むしろ逆で、私財を蓄えることは宗教的解脱の妨げになると古代から考えられてきた。例えば新約聖書には次のように書かれている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}イエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国に入るのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」—マタイによる福音書 19:23-26イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである」—ルカによる福音書 6:20

特に宗教権威ローマ教皇の影響が歴史的に大きい西洋では、この禁欲的なキリスト教思想を踏まえた哲学的観点からしばしば財産が論じられてきた。なお、資本主義成立以前の中世およびルネッサンス期あたりまでは「財産(property)」という語が本質的に土地を指していた。
古代哲学

シュメールの王ウルイニムギナは、土地(property)の強制売却を禁じる最初の法律を制定した[41]

旧約聖書のレビ記19:11および同19:13には「あなたがたは盗んではならない」と書かれている。

アリストテレスは『政治学』において「私有財産」という概念を提唱している[42]。彼は自己利益が共同体の無視につながるとして「誰もが自分自身のことを第一に考え、共同体の利益は殆ど考えない」[43]と論じた。さらに、財産が共同の場合は労働の違いから生じる先天的な問題がある、と次のように述べている。「もし人々が平等に苦楽を共有しないなら、多く働いて稼ぎの少ない人々は殆ど働かずに沢山貰ったり沢山消費する人達に必然的に不平を言うだろう。しかし実際のところ、複数の人達で一緒に生活してその全員と共同の関係になること、特に共同の財産を持つことは常に困難である。—アリストテレス、『政治学』1261b[44]

キケロは、自然法のもとに私有財産は存在せず人定法のもとでのみ存在すると考えた[45]小セネカは、人間が強欲になって初めて必要になるものを財産と考えた[46]。後にアンブロジウスがこの見解を採用し、ヒッポのアウグスティヌスでさえ異教徒が労働したことによる財産を唯一皇帝が没収できないことに不平を漏らした[47]
中世哲学「中世ヨーロッパにおける教会と国家」も参照

欧州全体にキリスト教が伝播し、教皇領が形成されて教会権力が絶大となる中世の半ばまで、私有財産に否定的な初期キリスト教思想は引き続き大きな影響力を持っていた。一方で、キリスト教権威と土地の封建支配をする諸国王権との権力争いも目立ち始め、中世後期には従来のキリスト教思想を一部修正する哲学者が現れるようになる。
トマス・アクィナス (13世紀)

グラティアヌス教令集という12世紀のカノン法は、人定法が財産を創造しているに過ぎないと主張し、ヒッポのアウグスティヌスによって使われたフレーズを繰り返した[48]トマス・アクィナスは財産の個人消費に関して同意したが、財産の私的所有が必要だと見いだす際に(初期キリスト教の)教父学的な理論を修正した[49]。トマス・アクィナスは特定の詳細規定があれば、以下の事を結論付けている[50]

外的な事物を所有するのは人間にとって自然である

自分のものとして物を所有することは人間にとって合法である

窃盗の本質は、他人の物を密かに取ることである

窃盗と強盗は別種の罪であり、強盗は窃盗よりも重大な罪である

窃盗は罪であり、また大罪でもある

しかし、必要性の圧迫を介して盗む(収用する)ことは合法である:「必要な場合、全ての物が共同体[注釈 13] の財産である」

近代哲学

西欧諸国が17世紀にアフリカほか新大陸への植民を次々と果たすと、貿易(商業)を重視して輸出超過の差額によって相手国の金銀を流入させ、自国の富を積み上げようとする重商主義が形成された。初期資本主義にあたる重商主義は、経済現象をいたずらに宗教的・倫理的に価値づけたりせず、それを客観的に因果論的に観察した。また、中世までキリスト教権威によって卑しいものだと非難されていた金儲けや商業を、経済の中心に引き上げ振興させていくことになった[51]

資本主義の台頭に伴って法人・個人による財産所有の意義が増してくると、中世までの批判的観点ではなく、キリスト教の再解釈から財産の妥当性を説明しようとする試みが見られるのも、近代西洋哲学の特徴である。例えばジョン・ロックが所有権を考察した『統治二論』では、第一論の大半がアダムの主権・アダムの君主権考察に割かれている[52]。 
トマス・ホッブズ (17世紀)

トマス・ホッブズの主な著作は1640年から1651年にかけて、清教徒革命の時期と重なって執筆された。彼自身の言葉によると、ホッブズの省察はキケロの著作から引用したフレーズ「万人に自分の所有物を与える」という思想から始まった。ところで彼は、どうやって万人が何らかの対象物をその人の所有物と呼びうるのか?に疑問を呈することで、以下の結論に至った。自分の所有物とは、領域内に明白な最強権力が1つ存在している場合にのみ、本当に自身の所有物になる事が可能で、(最強の)権力がそれを私の所有物として扱い、その地位を保護している[53]
ジェームズ・ハリントン (17世紀)

ホッブズと同時代のジェームズ・ハリントンは同じ問いに別の見解で反応し、彼は財産を自然だが避けられないと考えていた。『オセアナ』の著者である彼は、政治権力が財産分配の結果だ(原因ではない)と主張した最初の政治理論家だった可能性がある。彼は、起こりうる最悪の状況とは平民達が国家財産の半分を持っていて王室と貴族が残りの半分を握っている時で、不安定さと暴力に満ちた状況だと述べた。彼は、財産の大部分を平民が所有すれば遥かに良い状況(安定した共和国)が出現するだろうと示唆した。
ロバート・フィルマー (17世紀)

上述の2人と同世代のロバート・フィルマーは、聖書釈義を通じてホッブズとよく似た結論に達した。フィルマーは、王権制度が(キリスト教の説く)父性に似ていると述べた。すると人民は従順だろうと素行が悪かろうと未だに子であり、財産権とは父が子たちに分け与えたりする家財のようなもので、父のものは(子に分け与えた後でも)父の希望に応じて取り戻したり処分できたりする、と述べた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef