20世紀に入ると所有権の内容そのものが法律で規制されるとともに、所有権の行使は公共の福祉に適合することが明文で認められるようになった[2]。1919年のヴァイマル憲法は第153条で「所有権は、憲法によって保障される。その内容及びその限界は、法律によって明らかにされる」(1項)と定め、また、「所有権は、義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである」(3項)と定めていた[2]。
第二次世界大戦後、資本主義体制をとる西欧諸国ではドイツ連邦共和国基本法第15条、イタリア共和国憲法第43条、1946年のフランス憲法(第四共和国憲法)前文第9項は、社会化や国有化のための財産権の制限について明文で規定している[3]。一方、社会主義体制をとる国々の社会主義憲法では、例えば1977年のソビエト社会主義共和国連邦憲法(第13条第1項)は国家により保護される個人的所有を「勤労所得」を基礎として「日用品、個人の消費と便益にあてる物品、家内副業経営の物品、住宅、勤労貯蓄」に限定していた[1]。 大日本帝国憲法(明治憲法)は財産権の保障について27条に規定を置いていた。 大日本帝国憲法(明治憲法)は財産権の保障については規定を置いていたものの損失補償条項は存在せず、損失補償制度(損失補償の要否や補償額等)は全て法律以下の制定法の定めるところによっていた[4]。
日本
大日本帝国憲法(明治憲法)
大日本帝国憲法第27条
第1項
日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ
第2項
公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
1900年の土地収用法(旧土地収用法)には、収用に際しての補償条項があり(第47条)、これに関する争いは通常裁判所の管轄と定められていた(第82条)[4]。 日本国憲法は財産権の保障について29条に規定を置いている。 日本国憲法では財産権の保障だけでなく損失補償も憲法上の制度となった[4]。 日本国憲法第29条第1項については、客観的法秩序としての私有財産制の制度的保障のみを認める趣旨であるとする説[6]もあるが、多数説は私有財産制の制度的保障とともに個人が現に有する財産権をも個別的に保障していると解している[7]。判例としては、最高裁が森林法違憲判決で「私有財産制度を保障しているのみでなく、社会的経済的活動の基礎をなす国民の個々の財産権につきこれを基本的人権として保障する」と判示している(最判昭和62年4月22日民集第41巻3号408頁)[7]。 次に日本国憲法第29条第1項で保障される私有財産制の内容が問題となる。通説は日本国憲法は経済体制として資本主義をとるもので社会主義を排除していると解する[7][8][9]。その理由としては、かりに憲法が個人の生存に不可欠な物的手段のみを保障しているなら社会主義国家の憲法のようにそれを明示しているはずであり、さらに日本国憲法第22条が営業の自由を保障していることが挙げられる[7]。これに対し、財産権の究極の目標を生存権の保障と考えると制度的保障に生産手段の私有までを含める必要はないとして、議会民主主義に反する方法や無償没収は憲法の認めるところではないが、憲法29条3項の公用収用の方法により社会主義の実現が憲法上可能であるする説もある[7]。なお、通説は日本国憲法は資本主義をとり社会主義を排除していると解するが、主要な西欧諸国の憲法が認めているように、公共の福祉を実現するために重要産業や基幹産業の国有化や社会化を行うことは憲法29条2項を根拠として憲法29条3項の正当な補償を条件に認められると解している[10]。 日本国憲法第29条第2項により、財産権は公共の福祉の制約を受ける(第29条第2項)[11]。最高裁は森林法違憲判決で第29条第2項について「社会全体の利益を考慮して財産権に対し制約を加える必要性が増大するに至ったため、立法府は公共の福祉に適合する限り財産権について規制を加えることができる、としているのである。」と判示している(最判昭和62年4月22日民集第41巻3号408頁)[12]。 財産権の規制には、内在的制約と政策的制約あるいは消極的目的の規制と積極的目的の規制のように二重の基準がある[12]。
日本国憲法
日本国憲法第29条
第1項
財産権は、これを侵してはならない。
第2項
財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。
第3項
私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。
財産権の保障(29条1項)
財産権の制限(29条2項)
内在的規制 - 他者の生命・財産を守る消極目的による当然に受忍されるべき規制相隣関係(民法第209条