豊饒の海
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文庫版は各巻新潮文庫より刊行されている[7]

翻訳版は、『春の雪』『奔馬』は英米のMichael Gallagher訳(英題:Spring Snow、Runaway Horses)、イタリア(伊題:Neve di primavera、Cavalli in fuga)、『暁の寺』は英米のCecilia Segawa Seigle、D.E. Saunders訳(英題:Temple of Dawn)、イタリア(伊題:Il tempio dell'alba)、『天人五衰』は英米のエドワード・G・サイデンステッカー訳(英題:The Decay of the Angel)、イタリア(伊題:La decomposizione dell'angelo)をはじめ、世界各国で行われている[8]
作品成立・背景
執筆動機・構成

三島は1960年(昭和35年)頃から大長編を書きはじめなければならないと考え、19世紀以来の西欧の長編小説とは違う〈全く別の存在理由のある大長編〉、〈世界解釈の小説〉を目指して、『豊饒の海』を1965年(昭和40年)6月から書き始める[1]。壮途半ばで作家人生を病で終えた高見順の死も執筆に拍車をかけたとし[9]、その執筆動機を以下のように語っている[1]。私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長編には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になつて以来考へつづけてゐた「世界解釈の小説」を書きたかつたのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。 ? 三島由紀夫「『豊饒の海』について」[1]

そして、学習院時代の旧師の松尾聰の校注に成る『浜松中納言物語』に依拠した「転生がすべての筋を運ぶ小説」を四巻の構成にし[注釈 2]、〈王朝風の恋愛小説〉の第一巻は〈たわやめぶり(手弱女ぶり)〉あるいは〈和魂〉を、「激越な行動小説」の第二巻は〈ますらをぶり(益荒男ぶり)〉あるいは〈荒魂〉を、〈エキゾチックな色彩的な心理小説〉の第三巻は〈奇魂〉を、第四巻は〈それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説〉で〈幸魂〉へみちびかれてゆくものと三島は説明している[1]

ちなみに、1950年(昭和25年)の『禁色』の創作ノートにもすでに、〈螺旋状の長さ、永劫回帰、輪廻の長さ、小説の反歴史性、転生譚〉といった言葉が並び、『豊饒の海』を予告するような記載があり[1]、初期作品の『花ざかりの森』『中世』『煙草』などにも「前世」への言及が見られ、もともと三島には早くから転生への関心を抱いていた傾向が見られる[2]

〈豊饒の海〉の題は「月の海」の名のラテン語の訳語であるが、三島は、作品完成前に有人ロケット月面着陸が行われることに触れて、〈人類がの荒涼たる実状に目ざめる時は、この小説の荒涼たる結末に接する時よりも早いにちがひない〉と述べ[12]、題名は、〈月のカラカラな嘘の海を暗示した題で、強ひていへば、宇宙的虚無感と豊かなのイメーヂとをダブらせたやうなもの〉で、語の〈時は海なり〉の意味もあると説明している[13]

三島は、論理体系もない芸術宿命や限界に、大きな哲学の論理構造を持つ大乗仏教唯識の思想のような〈人間を一歩一歩狂気に引きずりこむような、そういう哲学体系〉を小説の中に反映させた長編を書き出したと述べ[14]、第二巻の連載中には、汎神論のような宗教の世界像のようなものを、〈文学であれができたらなあ〉という願望を示しながら以下のように語っている[15]。そういう世界包括的なものを文学で完全に図式化されちゃったら、だれも動かせないでしょう。日本だったら「源氏」がある意味でそうかもしれないし、宗教ではありませんけれども馬琴が一生懸命考えたことはそういうことじゃないか。仁義礼智忠信孝悌、ああいうものをもってきて、人間世界を完全にそういうふうに分類して、長い小説を書いて、そうして人間世界を全部解釈し尽くして死のうと思ったんでしょう。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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