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豊島区(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
2015年の夜間人口(居住者)は291,167人であり、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は417,146人である[7]。 2014年5月8日、日本創成会議の人口減少問題検討分科会で発表された「2040年における消滅可能性都市」において、豊島区は東京都区部で唯一ランクインした。この集計は、20歳から39歳までの豊島区に居住する女性人口に着眼し、女性居住人口が2040年に50パーセント以下になる市区町村を、国立社会保障・人口問題研究所による人口流出の統計を、日本創成会議が独自に集計して公表したものである。 そのため豊島区は、定住人口を増やすため様々な方策をとり、2018年には40年ぶりに人口29万人を突破した。 合計特殊出生率も0.99と回復傾向を示しているが、人口減少の克服は日本全体の課題という認識のもと、「女性にやさしいまちづくり」「地方との共生」「高齢化への対応」「日本の推進力」の四つの方針を柱とし、安全・安心なまちづくり、文化の多様性を活かした国際アート・カルチャー都市づくりなど、持続発展都市を目指した取組みを進めている[8]。 日本の国花であるサクラの代表的な品種であるソメイヨシノは、現在の駒込から巣鴨の旧染井村が発祥。染井の植木屋が江戸時代後期、交配して生み出した新種がソメイヨシノである。旧染井村では鉢植えをつくることが盛んで、ここでつくられた植木や盆栽は、花売りによって江戸中に運ばれていた。1860年(万延元年)に染井を訪れた英国人植物学者ロバート・フォーチュンはその種類の多さに驚き、世界一とのお墨付きを与えている。また霧島ツツジも多くつくられ、JR駒込駅の土手が春になるとツツジでいっぱいになるのは、その名残である。 北豊島郡に属する4つの町が合併して東京市に編入される時に、郡名からこの名前が採用された。ただし、豊島区の前身である4町は北豊島郡の一部に過ぎず、元々の北豊島郡は現在の北区から練馬区にかけての広い範囲を含んでいた(右図)。本来の郡の中心地は板橋町であったが、東京市に隣接する4町が郡内で最も発展した地域であったため、4町の区域が「豊島区」と名付けられた[9]。 さらに元を辿ると、北豊島郡はかつての武蔵国豊島郡の一部であり、「豊島」が指す範囲はより一層広かった。古代豊島郡の郡衙は現在の北区に置かれ、中世には現在の北区を発祥とし、石神井川流域を本拠地とする桓武平氏の豊島氏が豊島郡を治めた。豊島という町名が豊島区ではなく北区にあったり、同じく「としまえん」(2020年に閉園。豊島氏の城の一つ練馬城の跡地)が練馬区にあったりしたのはそのためである。なお、豊島氏は1477年に江古田・沼袋原の戦いで太田道灌に敗れて滅亡した。 東京市による最初の区名原案は「池袋区」(いけぶくろく)だった。その後区名案が「目白区」(めじろく)に変更され、その後各所から寄せられた様々な陳情を受け、東京府会に於いて「豊島区」と再変更され決定された[10]。 豊島区では全域で住居表示を実施済であるる。以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。 町名住居表示実施年月日住居表示実施直前町名備考
昼夜間人口
将来
歴史
沿革
1871年(明治4年)11月 - 長崎村が浦和県(現:埼玉県)より東京府に編入。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、北豊島郡巣鴨町、巣鴨村、高田村、長崎村が発足。
1918年(大正7年)7月20日 - 巣鴨村が町制施行し、西巣鴨町となる。
1920年(大正9年)4月3日 - 高田村が町制施行。
1926年(大正15年)10月1日 - 長崎村が町制施行。
1932年(昭和7年)10月1日 - 巣鴨町、西巣鴨町、高田町、長崎町が東京市に編入され、4町の区域をもって豊島区が発足。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により東京都豊島区となる。
1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法施行により特別区としての豊島区が発足。
1981年(昭和56年)4月20日 - 防災行政無線運用開始。
ソメイヨシノ発祥地
区名の由来色の塗られた地域がかつての北豊島郡。そのうち、青色の部分が現在の豊島区。
町名
豊島区役所管内
豊島区役所管内(33町丁).mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}池袋(いけぶくろ)一丁目1989年8月1日池袋1?4、高松1、要町1
池袋二丁目1989年8月1日池袋1?4、高松1、要町1
池袋三丁目1989年8月1日池袋1?4、高松1、要町1
池袋四丁目1989年8月1日池袋1?4、高松1、要町1
池袋本町(いけぶくろほんちょう)一丁目1969年4月1日池袋5・6(全)、池袋1・4・7、堀之内町
池袋本町二丁目1969年4月1日池袋5・6(全)、池袋1・4・7、堀之内町
池袋本町三丁目1969年4月1日池袋5・6(全)、池袋1・4・7、堀之内町
池袋本町四丁目1969年4月1日池袋5・6(全)、池袋1・4・7、堀之内町
上池袋(かみいけぶくろ)一丁目1970年1月1日池袋1・7・8、堀之内町、西巣鴨2・3
上池袋二丁目1970年1月1日池袋1・7・8、堀之内町、西巣鴨2・3
上池袋三丁目1970年1月1日池袋1・7・8、堀之内町、西巣鴨2・3
上池袋四丁目1970年1月1日池袋1・7・8、堀之内町、西巣鴨2・3
北大塚(きたおおつか)三丁目1969年4月1日西巣鴨2・3、巣鴨5?7
雑司が谷(ぞうしがや)一丁目1966年11月1日雑司ケ谷町1?3、高田本町1・2、池袋東2、目白町2
雑司が谷二丁目1966年11月1日雑司ケ谷町1?3、高田本町1・2、池袋東2、目白町2
雑司が谷三丁目1966年11月1日雑司ケ谷町1?3、高田本町1・2、池袋東2、目白町2
高田(たかだ)一丁目1966年11月1日高田南町1?3(全)、高田本町1・2
高田二丁目1966年11月1日高田南町1?3(全)、高田本町1・2
高田三丁目1966年11月1日高田南町1?3(全)、高田本町1・2
西池袋(にしいけぶくろ)一丁目1966年1月1日雑司ケ谷町6・7、長崎東町1、池袋1?3、目白町3・4、千早町1、要町1住居表示実施時に長崎1の一部を編入
西池袋二丁目1966年1月1日雑司ケ谷町6・7、長崎東町1、池袋1?3、目白町3・4、千早町1、要町1住居表示実施時に長崎1の一部を編入
西池袋三丁目1966年1月1日雑司ケ谷町6・7、長崎東町1、池袋1?3、目白町3・4、千早町1、要町1住居表示実施時に長崎1の一部を編入
東池袋(ひがしいけぶくろ)一丁目1966年11月1日西巣鴨1(全)、西巣鴨2、池袋東1・3、日出町1・2
東池袋二丁目1966年11月1日西巣鴨1(全)、西巣鴨2、池袋東1・3、日出町1・2
東池袋三丁目1966年11月1日西巣鴨1(全)、西巣鴨2、池袋東1・3、日出町1・2
東池袋四丁目1966年11月1日西巣鴨1(全)、西巣鴨2、池袋東1・3、日出町1・2
南池袋(みなみいけぶくろ)一丁目1966年11月1日池袋東1?3、日出町1・2、雑司ケ谷町1?3
南池袋二丁目1966年11月1日池袋東1?3、日出町1・2、雑司ケ谷町1?3
南池袋三丁目1966年11月1日池袋東1?3、日出町1・2、雑司ケ谷町1?3
南池袋四丁目1966年11月1日池袋東1?3、日出町1・2、雑司ケ谷町1?3
目白(めじろ)一丁目1966年1月1日目白町1(全)、椎名町1(全)、目白町2?4、椎名町2・3、高田本町1・2、池袋3
目白二丁目1966年1月1日目白町1(全)、椎名町1(全)、目白町2?4、椎名町2・3、高田本町1・2、池袋3
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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