豊中市
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1942年(昭和17年)2月1日 - 味噌醤油衣料品配給制度が始まる[11]

1944年(昭和19年)4月 - 大字南轟木(現・末広町3丁目)に豊中市民病院(現:市立豊中病院)開設[12]

1945年(昭和20年)6月7日 - 以後、終戦まで6回にわたり米軍による空襲を受ける。罹災面積96ha、罹災人口12,951人、死者575名、重軽傷者898人、罹災家屋3,540戸を数え、大阪府下では大阪市・堺市に次ぐ戦災都市となった。

戦後

1946年(昭和21年)10月 - 市制施行10周年を記念して、豊中市歌を公募。

1947年(昭和22年)2月 - 自治体警察として豊中市警察が発足。

1947年(昭和22年)4月 教育制度の改革により第一第二第三中学校を開設。

1948年(昭和23年)2月 - 豊中市消防本部および豊中市消防署が設置される。

1949年(昭和24年)4月 - 市議会事務局設置。

1951年(昭和26年)12月 - 広報「とよなか」創刊。

1954年(昭和29年)7月 - 警察法全部改正により国家地方警察自治体警察(豊中市警察)は廃止され、7月1日大阪市を除く府下24の市町村警察と大阪府国家地方警察を一体化した大阪府警察が設けられた。豊中市民病院が岡上の町に移転、同時に市立豊中病院に改称。

1955年(昭和30年)

1月 - 豊能郡庄内町を豊中市に編入する。

8月 - 井上次郎が豊中市に飯田(後の株式会社シロ)を設立(1969年、ほか2社と共同出資で共同仕入会社としてジャスコ株式会社を設立、現在のイオン株式会社)。


1958年(昭和33年)

3月 - 米軍伊丹基地が返還され、大阪空港(現:大阪国際空港)開港。

5月 - 千里ニュータウン開発を決定。

9月26日 - 関西最初のスーパーマーケット「山二ストアー」が庄内(旧三屋)に開設される。売り場面積は450m2


1959年(昭和34年)7月 - 大阪国際空港が第一種空港の指定を受ける。

1961年(昭和36年)

1月 - 住民登録人口20万人。

7月 - 千里ニュータウン起工式。


1962年(昭和37年)5月2日 - 市役所庁舎(現第一庁舎)完成(落成式)。

1963年(昭和38年)7月16日 - 日本初の高速自動車国道として、名神高速道路栗東 - 尼崎間が開通。豊中インターチェンジも同時に供用開始。

10月 - サンマテオ市と姉妹都市提携の調印式が行われる。


1964年(昭和39年)

1月 - 住民登録人口25万人。

6月19日 - 豊中警察署の庁舎が完成。


1966年(昭和41年)

2月 - 住民登録人口30万人。

3月27日 - 藤戸翼市長が在職中に死亡、4月6日市葬が行われる。

4月 - 千里ニュータウン構想に基づき新千里北町が完成。

4月 - 昭和天皇香淳皇后が千里ニュータウン、豊中市展望所を行幸啓[13]

10月 - 市制施行30周年、キンモクセイバラが豊中市の木と花に決まる。


1967年(昭和42年)

7月9日 - 集中豪雨北摂豪雨)、千里川天竺川が決壊。

8月29日 - 阪神高速(現:11号池田線福島 - 豊中北間が開通(同年10月に中之島 - 福島間、1969年2月に豊中北 - 大阪空港間、1970年3月に大阪空港 - 池田間が開通)。


1968年(昭和43年)11月27日 - 豊中駅前街区ビル竣工。

1969年(昭和44年)5月 - 猪名川ショートカット完工。

1970年(昭和45年)

2月5日 - 大阪国際空港ターミナルビルがオープン。

3月1日 - 中国自動車道吹田 - 中国豊中間が開通(同年7月に中国豊中 - 宝塚間が開通)。

3月11日 - 千里中央地区センター(千里サンタウン)竣工。

3月15日 - 日本万国博覧会開催(- 9月)。北大阪急行開通。

9月 - 千里川ショートカット完工。


1971年(昭和46年)12月4日 - 柴原浄水場で塩素ガス漏洩事故が発生。

1973年(昭和48年)

4月1日 - 豊中市の電話市外局番を「06」に統一(同年3月31日までは庄内地区を除き「068」、1964年以前は池田市と同じ「0727」であった)。
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