1974年(昭和49年)、満53歳のときに『ジゼル』を最後に現役ダンサーを引退、同バレエ団で芸術監督、振付家として、古典のみならず創作バレエも生み出し、後身を指導する[1]。2003年(平成15年)、日本バレエ協会第3代会長に就任、2006年(平成18年)に退任した[1]。門下には、有馬五郎(1922年 - 1993年)[14]、松岡伶子[4]、石井清子、高部尚子、黒田育世、尾本安代、伊藤範子らがいる[5]。
2015年(平成27年)4月26日、敗血症のため神奈川県川崎市の病院で死去した[1][2][5]。満94歳没。同年5月3日に青山葬儀所で行われた葬儀の喪主は、妹の伊達ナナが務めた[2][5]。ピアニスト・東京芸術大学教授の伊達純(1920年 - 2000年)は義弟に当たる[15]。同バレエ団は、赤城圭が継承し団長、芸術監督は齊藤拓が務める[2]。 おもな劇場用映画、テレビ映画の一覧である[16][17][18][19][20]。
フィルモグラフィ
『舞姫』 : 製作児井英男、監督成瀬巳喜男、原作川端康成、脚本新藤兼人、主演山村聡・高峰三枝子、製作・配給東宝、1951年8月17日公開 - 「振付」役で谷桃子バレエ団とともに出演(特別出演)、85分の上映用プリントをNFCが所蔵[16]
『ノンちゃん雲に乗る』 : 製作熊谷久虎・中田博二、監督倉田文人、原作石井桃子、脚本倉田文人・村山節子
『バレエ 女の愛と生涯』 : 共演原島雅子・谷桃子バレエ団、製作日本放送協会、1960年6月9日放映(テレビ映画・舞踊回り舞台) - 主演
モデルとなった作品
奥村土牛『踊り子』(第41回院展、1956年)[5][21]
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g h i j k l 谷桃子、コトバンク、2015年8月20日閲覧。
^ a b c d e f g ⇒訃報、谷桃子バレエ団、2015年8月20日閲覧。
^ a b c d 谷桃子、昭和音楽大学、2015年8月20日閲覧。
^ a b c d e ⇒バレリーナ谷桃子さんが日本のバレエに残したもの、菘あつこ、WEBRONZA、2015年5月26日付、2015年8月20日閲覧。