谷桃子_(バレエダンサー)
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1948年(昭和23年)1月9日 - 同13日、小牧正英バレエ団が大阪朝日会館で行った「グランドバレエ コッペリア い眼の少女」の公演において、『コッペリア』に主演、プリマバレリーナとして「スワルニダ」役を演じて「フランツ」役の小牧を相手役とした[3]。1949年(昭和24年)には谷桃子バレエ団(東京バレエ研究会)を組織、翌1950年(昭和25年)2月1日 - 同14日には、小牧正英バレエ団・服部島田バレエ団との合同公演を有楽座で開き、『白鳥の湖』、『コッペリア』を、小牧正英バレエ団のプリマ・広瀬佐紀子(1927年 - )や大滝愛子(1928年 - 2007年)とともに交代で主演する[3]。1951年(昭和26年)11月には、瀧口修造らの実験工房の第1回発表会において、『生きる悦び』を益田隆とともに上演した[13]。1954年(昭和29年)にはパリに留学、その後、1956年(昭和31年)には『ジゼル』で舞踊ペンクラブ賞、1962年(昭和37年)には『リゼット』で芸術祭奨励賞を受賞した[1]

1974年(昭和49年)、満53歳のときに『ジゼル』を最後に現役ダンサーを引退、同バレエ団で芸術監督、振付家として、古典のみならず創作バレエも生み出し、後身を指導する[1]。2003年(平成15年)、日本バレエ協会第3代会長に就任、2006年(平成18年)に退任した[1]。門下には、有馬五郎(1922年 - 1993年)[14]、松岡伶子[4]石井清子、高部尚子、黒田育世、尾本安代伊藤範子らがいる[5]

2015年(平成27年)4月26日、敗血症のため神奈川県川崎市の病院で死去した[1][2][5]。満94歳没。同年5月3日に青山葬儀所で行われた葬儀の喪主は、妹の伊達ナナが務めた[2][5]ピアニスト東京芸術大学教授の伊達純(1920年 - 2000年)は義弟に当たる[15]。同バレエ団は、赤城圭が継承し団長、芸術監督は齊藤拓が務める[2]
フィルモグラフィ

おもな劇場用映画テレビ映画の一覧である[16][17][18][19][20]

舞姫』 : 製作児井英男、監督成瀬巳喜男、原作川端康成、脚本新藤兼人、主演山村聡高峰三枝子、製作・配給東宝、1951年8月17日公開 - 「振付」役で谷桃子バレエ団とともに出演(特別出演)、85分の上映用プリントをNFCが所蔵[16]

ノンちゃん雲に乗る』 : 製作熊谷久虎中田博二、監督倉田文人、原作石井桃子、脚本倉田文人・村山節子、主演鰐淵晴子、製作芸研プロダクション、配給新東宝、1955年6月7日公開 - バレエ振り付け、84分の上映用プリントをNFCが所蔵[16]

『バレエ 女の愛と生涯』 : 共演原島雅子・谷桃子バレエ団、製作日本放送協会、1960年6月9日放映(テレビ映画・舞踊回り舞台) - 主演

モデルとなった作品

奥村土牛『踊り子』(第41回院展、1956年)[5][21]

脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g h i j k l 谷桃子コトバンク、2015年8月20日閲覧。
^ a b c d e f g訃報谷桃子バレエ団、2015年8月20日閲覧。
^ a b c d 谷桃子昭和音楽大学、2015年8月20日閲覧。
^ a b c d eバレリーナ谷桃子さんが日本のバレエに残したもの、菘あつこ、WEBRONZA、2015年5月26日付、2015年8月20日閲覧。


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