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確実な史料上では、3世紀卑弥呼(親魏倭王)以来、約1世紀の空白(いわゆる「空白の4世紀」)を経て確認される王になる[6][10]。ただし「倭王」でなく「倭国王」であり、中国からは通交が限られた遠隔地の国と認識された点が注意される[9]。讃は、この「安東将軍」の任官によって将軍府(軍府/幕府)の設置および長史(文官管掌職)・司馬(軍事管掌職)・参軍といった僚属(府官)の設置が可能となっており、派遣された曹達の「司馬」もその府官制に則った官職と推測される[6][10][3]。倭の司馬(次官)の遣使は、高句麗百済の長史(長官)の遣使とは異なるものであり、軍事性を重視する倭の内情や、他国より優位に立とうとする倭の外交姿勢を表す可能性が指摘される[6][10][12]。一方で大将軍府(高句麗・百済)では長史が筆頭で、将軍府(倭)では司馬が筆頭であったとする見方もある[9]。ただし当時の曹達の実際は、軍官の実務に従事する職(実司馬)でなく、使節のための臨時的な職(虚司馬)であったと見られる[6][13]。なお、讃の除授において「使持節 都督〇〇」の任官も明らかでないが、438年の珍の遣使で珍は「使持節 都督〇〇」を自称しているため、讃の時点では任官されていないと見られる[14]
430年記事について
『宋書』文帝紀の元嘉7年(430年)記事では、遣使主体は「倭国王」とのみ記され、名前を明らかとしない。これに関して、新王の遣使ならば冊封を受けるのが通例などとして主体を讃とする説が有力であるが[6][10][3]、主体を珍とする説もある[6]。この年は『古事記』では履中天皇の治世に当たり、讃(仁徳天皇)でも珍(允恭天皇)でもない第三の王になる。
天皇系譜への比定
日本書紀』・『古事記』の天皇系譜への比定としては、讃を応神天皇(第15代)・仁徳天皇(第16代)・履中天皇(第17代)のいずれかとする説が挙げられている[1][11]。この説は、「武 = 雄略天皇」が有力視されることから、武以前の系譜と天皇系譜とを比較することに基づくが、『宋書』では珍と済を別人と考える限りは関係が不明で一意に定まらないため、定説はない[15][16]。応神天皇説では和風諡号の「誉」と「讃」の意通が指摘され、仁徳天皇説では和風諡号の「サザキ(鷦鷯/雀)」と「讃」の音通が指摘されるほか、記紀の事績の類似から応神天皇・仁徳天皇同一人物説もある[15]。また履中天皇に比定する説は、武から4代遡ることによる[16]。なお、記紀の伝える天皇の和風諡号として反正天皇までは「○○ワケ」であるのに対し、允恭天皇・安康天皇・雄略天皇に「ワケ」は付かないことなどから、允恭天皇以後の王統(済以後の王統)の変質を指摘する説がある[17]
墓の比定
倭の五王の活動時期において、大王墓は百舌鳥古墳群古市古墳群大阪府堺市羽曳野市藤井寺市)で営造されているため、讃の墓もそのいずれかの古墳と推測される[18]。これらの古墳は現在では宮内庁により陵墓に治定されているため、考古資料に乏しく年代を詳らかにしないが、一説に讃の墓は誉田御廟山古墳(現在の応神天皇陵)に比定される[16]
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 倭王讃(日本人名大辞典).
^ 倭王讃(朝日日本歴史人物事典).
^ a b c d e f 『東アジア民族史 1 正史東夷伝(東洋文庫264)』 平凡社、1974年、pp. 309-313。
^ a b 『倭国伝 中国正史に描かれた日本(講談社学術文庫2010)』 講談社、2010年、pp. 117-123。
^ a b 『東アジア民族史 1 正史東夷伝(東洋文庫264)』 平凡社、1974年、pp. 315-319。
^ a b c d e f g h i j k l m 倭の五王(国史).
^ a b c d 森公章 2010, pp. 7?11.
^ 森公章 2010, p. 23.
^ a b c d e f 河内春人 2018, pp. 33?72.
^ a b c d e f g 倭の五王(日本大百科全書).
^ a b 讃(古代氏族) 2010.
^ 坂元義種 「好太王碑と七支刀の銘文が示す古代倭国と日朝関係史」『ここまでわかった! 「古代」謎の4世紀(新人物文庫315)』 『歴史読本』編集部編、KADOKAWA、2014年、pp. 118-131。
^ 森公章 2010, p. 62.
^ 河内春人 2018, pp. 73?119.
^ a b 森公章 2010, pp. 25?46.
^ a b c 足立倫行 「「倭の五王」をめぐる論点」『ここまでわかった! 「古代」謎の4世紀(新人物文庫315)』 『歴史読本』編集部編、KADOKAWA、2014年、pp. 48-61。
^ 森公章 「稲荷山鉄剣銘の衝撃 金石文・中国史書と記紀からみた四・五世紀」『発見・検証 日本の古代II 騎馬文化と古代のイノベーション』 KADOKAWA、2016年、pp. 70-84。
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