議会
[Wikipedia|▼Menu]









議会(ぎかい、: Parliament)とは、貴族選挙により選出された議員などで構成され、予算法律の議決などを行う機関のことである[1]中央議会においては、有権者の代表、法律の制定(立法)、政府の監視(行政監督権)の三つの機能を持つ。
概要

「議会」の語源は11世紀のフランス語: parlementであり、parlerは「会話」を意味する[2]。その意味は時代によって変化し、当初は君主によって召喚された諮問機関(身分制議会)であったが、イギリスでは14世紀中旬には「イングランドとアイルランドの代表者会議」を意味するようになった[3]。議会による民主主義議会制民主主義(代表制民主主義)と呼ばれ、間接民主主義の一種である。また、議会を重視する思想や制度は議会主義とも呼ばれる。エドゥスクンタのセッションホール議会呼称の地図

以下の英語も「議会」と訳される場合がある。

Legislature: 立法府、議会

Assembly: 集会、会議、議会

各国の議会の呼称には、それぞれの歴史や経緯が含まれている[4]。以下は主な呼称の英語表記、主な採用国、語源だが、同一の議会でも複数の呼称が使用される場合もある。

Parliament: 英国イギリス連邦諸国の議会 - 語源はフランス語: parlement(会話する、会話場所)。身分制議会の時代を含め、イギリス議会の「討議」より。

Congress: アメリカ合衆国議会ラテンアメリカ諸国の議会 - 語源はラテン語: congressus(参加する・参集する)。1774年 植民地代表者による大陸会議(英語: Continental Congress)より。

Diet: ドイツ連邦議会スウェーデンの議会日本の国会など - 語源はラテン語: dies(英語: day、ドイツ語: tag、日)。皇帝等により決められた日時に開催されたため。神聖ローマ帝国の議会より。日本の明治憲法プロイセン立憲主義を参考とした。

National Assembly: フランスや旧フランス植民地諸国の国民議会大韓民国国会など

国家以外にも、多くの国際組織連邦国家地方自治体などにも、様々な呼称で議会が存在している。
歴史

近代議会は古代ギリシア古代ローマの市民総会、または評議会元老院と似た部分を持っている。しかし、どちらも近代議会とは歴史的に異なる性格を持っており政治体制への組み込み方も異なるので、区別することが多い。
起源

古代ギリシア・古代ローマに存在した「民会」や「元老院」は現在の議会政治に通じるものがあり「議会」の起源といえるものであった。しかし民会は市民直接参加、元老院は貴族の会であり、「議員」ではない。
古代ギリシア

古代ギリシアでは「ポリス」と呼ばれた多くの都市国家が存在し、政治体制はそれぞれのポリスごとに異なっていた。こうしたポリスの中には市民による民主主義政治を行っていたものも少なくなく、直接民主制ないし間接民主制の議会政治が実現していた。

代表的な都市国家アテナイでは、市民が全員参加する「民会」というものや、市民によって選出された評議員で構成される「五百人評議会」と呼ばれるものが存在していた。しかし敵対する軍事都市国家スパルタとの戦争等によって、政治が不安定化し詭弁家と呼ばれるソフィスト等の出現による腐敗政治が横行したため、スパルタに敗戦後は三十人政権へと移行していく。
古代ローマ

古代ローマでは議会に相当するものとして元老院民会を挙げることができる。王政打倒後の共和政ローマでは行政政務官が担当したが、これらの政務官はローマ市民によって構成された民会を通じて選出された。もともとは王への助言機関であったといわれる元老院は政務官経験者から構成され、法案の審議や政務官候補の選出などを通して国家方針の策定に大きな影響力を握った。古代ローマでは最終的な立法権や政務官の選出権は民会が独占していたが、元老院は家長の集合から出発したという伝統を背景とした圧倒的な権威を用い、民会の動向を事実上左右することができた。

当初、政務官職は貴族(パトリキ)のみに許され、元老院は貴族によって独占されていた。身分闘争の結果、政務官職が平民(プレブス)にも開かれると有力者であれば平民でも元老院に議席を持つようになり、旧来の貴族に有力平民を加えた新貴族(ノビレス)と呼ばれる有力者層が形成されるようになった。この新貴族は元老院議員を世襲によって独占するようになり、伝統を重視してローマの政治を自分達中心に運営していこうとした(閥族派)。一方で、ノビレスの中でも閥族派には属さず、潜在的には力を持ちつづけていた民会と一般平民の力を利用して自己の勢力拡大と政治課題の実現を達成しようとする者も現れるようになった(平民派)。有力な平民派政治家に主導された民会はときに元老院の意向に反した行動をとることもあった。

こうした元老院と民会の仕組みは現在の上院下院の概念の基礎ともなり、アメリカ合衆国連邦議会等は名称や機能等制度設計などで古代ローマを参考にしている。

元老院も民会もアウグストゥスによってローマの政治体制が共和政から帝政に移行した後も存続したが、「帝政」という一つの人格に全ての権威と権限が集中する政治体制の中では徐々に形骸化していった。
近代

中世から続いた絶対王政からの脱却と言うものが多く「議会」という語はヨーロッパ中世の「封建議会」を指す場合にも用いられる。近代議会政治は英国・アメリカ合衆国・フランス等で確立し、他の諸国に普及していった。
アイスランド

アイスランドでは、930年に定住地域ごとの「シング」(民会)が統合した「アルシング」と呼ばれる「議会」が創設された。これは極めて民主的なもので議会制民主主義に基づく近代議会政治における世界最古のものと言われ現在にまで至っている。
英国

英国の封建議会は、絶対王政時代に力を弱めつつも消滅に至らず、近代議会に接続した稀な例である。英国議会は国王が掌握する行政府に課税承認権を盾にとって対抗し、行政の恣意を制限しようとした。国王との対立が決定的になると、1649年清教徒革命が生じ国王を処刑し、1688年名誉革命で国王を追放した。名誉革命以後の議会は引き続き国王の行政権力を認めたが、しだいに権限を拡大し、18世紀半ばに議院内閣制を実現して行政に対する優位を確立した。現在の歴史学会の通説では、フランスに脅威を感じたオラニエ公(後のウィリアム3世)が英国の動向に目を着け、その大義名分として権利章典の内容をなすビラをばらまいたとされる。

この過程で下院である庶民院の選挙権が拡大・公平化され、身分制・特権議会は、真に国民代表機関となった。またきわめて早くから政党が発達したため、議会だけでは世論統合のスピードが遅かっただろうところを、政党が中間団体としてよく世論をまとめ、国民に明快な選択肢を提供し続けて来たことも、英国議会政治の成功の一つの理由である。

また現在もその後のままに世襲貴族や任命貴族による上院に相当する貴族院も残存している。貴族の院という名目は形骸化し、一代貴族に任命された有識者による再考の院という側面が強くなっている。
フランス

フランスの封建議会(三部会)は、絶対王政の時代に開かれなくなった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef