講談
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その後、芦州が「講談組合」を、馬琴が「東京講談会」をそれぞれ離脱するなど、東京の講談界はますます混迷状態となっていた[3][4][5]

この状況を憂いた日本演芸家連合理事長の四代目三遊亭金馬落語協会、後の二代目三遊亭金翁)と副理事長の春風亭柳昇落語芸術協会)が斡旋し、1980年に東京講談界は再び一本化し「講談協会」の発足に至った(ただし、神田伯治・二代目悟道軒圓玉七代目一龍斎貞山は不参加)。

しかし、1991年に協会の会長選挙の方法について、二代目神田山陽が異議を唱えたことにより、山陽一門は一部を除いて講談協会を離脱し「日本講談協会」を設立。山陽は門人の去就を個人の判断に委ねたため、門人の一部は講談協会に残留した(「第二次講談協会分裂」)[5]。これ以降、再び東京講談界は二団体に分立し、現在に至っている。

講談の定席は本牧亭永谷商事の演芸場があったが、本牧亭は閉場(のちに破産)。両団体とも現在は永谷商事が所有するお江戸上野広小路亭お江戸日本橋亭新宿永谷ホールを拠点として定席興行を行っている。このうち、日本講談協会は「落語芸術協会」と提携しており、両協会に所属する講談師も多く、この場合は芸協の定席興行にも出演するほか、前座修業も芸協の寄席で行っている[注釈 3](例外あり)。また、講談協会も3人と少数ながら「落語協会」にも所属する講談師がおり、この場合は落語協会の定席興行にも出演するほか、落語協会未所属の協会員であっても稀に落語協会の定席の顔付けに加わる事もある。他には浅草木馬亭で行われる「日本浪曲協会」の定席興行にも、両協会から毎回1名程度が賛助出演している。

女性の進出が目覚ましい分野であり、近年の若手講談師はむしろ女性が中心となっている[6]。特に若手の入門者は女性が圧倒的に多く、講談協会では1988年から2012年まで、男性真打が一人も誕生しなかったほどである[7]

その後、2002年に六代目一龍斎貞水、2019年に三代目神田松鯉がそれぞれ講談師の重要無形文化財保持者(いわゆる「人間国宝」)となり、さらに三代目松鯉の弟子である六代目神田伯山が台頭し、メディア出演などで知名度を上げたことで、男性の入門希望者も散見されるなど、講談の人気も徐々に取り戻しつつある[8]

講談協会(宝井琴梅会長)

日本講談協会(神田紅会長)

上方の講談

上方(関西)の講談は「軍談」と「神道講釈」の二つの流れが融合したもので、大正時代に立川文庫の生みの親である玉田玉秀斎などの玉田派が上方講談界を席巻した。その後、玉田、松月堂など上方講談の一門は昭和初期で命脈が尽き、本来の上方講談の系譜はいったん絶えたと言える。こうして、本来は江戸の屋号である旭堂のみが残り、二代目南陵の奮闘もあって、上方講談唯一の屋号として今日まで継承されている[注釈 4]

戦後になると、上方落語以上に衰退著しい上方講談は、江戸講談の系譜に連なる二代目旭堂南陵と二代目旭堂小南陵(後の三代目旭堂南陵)父子のみの状態となった。1965年に二代目が亡くなった後は三代目の孤軍奮闘が長く続いた。現在も数は多くはないが、三代目南陵の弟子たちにより地道な活動が続けられ当面の危機は脱した。「上方講談を聞く会」「天満講談席」「トリイ講談席」「日本一亭南陵会」など定期講談席も続けられている。

その後、三代目南陵の弟子間で訴訟にまで発展する内紛があり、四代目南陵(前名:三代目小南陵・元参議院議員)一門は「上方講談協会」を除名され「大阪講談協会」を結成した。

2017年、さらに旭堂南鱗以下の旧三代目南陵一門が離脱し「なみはや講談協会」を設立。「上方講談協会」は旭堂南左衛門一門のみとなり、上方の講談界は少人数ながら三団体となる。

上方講談協会(会長旭堂南左衛門

大阪講談協会(会長四代目旭堂南陵→2020年7月死去により会長空席)

なみはや講談協会(名誉会長旭堂南鱗、会長旭堂南華

題材

江戸時代以降、講談の主な材料源は実録本だったとされる[10]。演目は、軍談・金襖物(評定物)・捌き物・仇討物・白浪物・三尺物などがある他、明治時代には政治講談・新聞講談・文芸講談などの新演目が起こった[10]。さらに現代では、国際的事件や経営理論、経営者の自伝など、新たな題材を取り上げる試みもなされている。
代表的な演目
上方

安倍晴明

天野屋利兵衛

一休和尚

応挙の幽霊

木津の勘助

木村長門守重成

楠の泣男

食わんか船の由来

西行法師

菅原天神記

曽呂利新左衛門

太閤記

壺阪の沢市

難波戦記

水戸黄門漫遊記

奴の小万

藪井玄意

良弁杉の由来

江戸

赤穂義士伝(
忠臣蔵

名月赤城山(国定忠治

清水次郎長

四谷怪談

宮本武蔵

徳川天一坊

真景累ヶ淵

佐倉宗五郎(佐倉義民伝)

扇の的

天保水滸伝

慶安太平記

畔倉重四郎

浪速侠客伝

川中島合戦

鉢の木

笹野名槍伝

青龍刀権次

大岡政談

芝居の喧嘩

赤垣源蔵

鏡ヶ池操松影

梅雨小袖昔八丈

左甚五郎

牡丹灯篭

寛永三馬術

天保怪鼠伝

天保六花撰

日蓮記

松山伊予守(無筆の出世、仏の作蔵 命の手習い)

柳田格之進

その他、講談の演目と梗概については、吉沢英明編『講談作品辞典』(昭和堂、2008年)が詳しい。
講談師
現在活動している講談師

東京の講談師は基本的に神田派・山陽一門が日本講談協会(後述する通り、一部は講談協会)、それ以外が講談協会に所属するが、次に記述する者のうち、圓玉、昇龍、ひまわりはそのいずれにも所属していない。
一龍斎派

現在、一龍斎を名乗る講談師は、五代目一龍斎貞丈一門にあたる。後述するが、一龍斎を名乗りながら神田の系譜にあった貞鏡は2021年に貞花一門に移籍した。

一龍斎貞丈(5)† 一龍斎貞丈(6)† 一龍斎貞花(5) 一龍斎貞弥
      
               一龍斎貞鏡(7)
 
          一龍斎貞心 一龍斎貞寿
   
              一龍斎貞奈
 
              一龍斎貞司
 
              一龍斎貞介
 
              一龍斎貞昌
 
     一龍斎貞水(6)† 一龍斎春水
   
         一龍斎貞友
 
         一龍斎貞橘 一龍斎貞太
  

田辺派


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