田辺一鶴門下にあたる。鶴女は桃川を名乗るが、本来の桃川派ではなく、一鶴門下から襲名している。また門下の鶴丸も桃川を名乗っていたが、2018年に「田ノ中星之助」に改名している。2018年刊行の東都寄席演芸家名鑑の系図では一鶴門下として列せられている。田辺鶴遊は一鶴死後に宝井琴梅門下に移籍したのち、真打昇進を機に再び田辺を名乗っている。
田辺一鶴† 田辺鶴生†
桃川鶴女[注釈 5]
田辺南北
田辺鶴英 田辺銀冶
圓玉は元は十二代目田辺南鶴門下であったが、南鶴死後に南洲の名のまま服部伸預かりとなり、その後圓玉を襲名している。1980年の講談協会再統一の時点で協会に不参加[5]で、以降現在までフリーである。
服部伸† 悟道軒圓玉(2) 六代目神田伯龍門下。伯龍は神田派の留め名で、六代目も代々の神田派の系譜にあるが、その弟子かつ養子である七代目貞山が実父の名跡を継いだため、神田派の本流にありながら一龍斎を名乗るという状態になっていた。その実子である貞鏡は貞山の弟子でもあったが、貞山の死後に貞花門下に移り、名実ともに一龍斎一門となった。伯龍門下で神田を名乗る者として神田昇龍が存在する。 神田伯龍(6)† 一龍斎貞山(8)† (一龍斎貞鏡:貞花一門に移籍) 二代目神田山陽門下。二代目山陽は元々師匠を持たず独立して活動していたのちに神田派に迎え入れられ、山陽を襲名した経緯がある。現在、神田を名乗る講談師は前述の昇龍を除き、全員がこちらの一門である。なお、紅門下の真紅が2024年3月より松林伯知の名跡を三代目として襲名している。1991年の第二次講談協会分裂により講談協会を退会し、日本講談協会を旗揚げした一門。ただし、二代目山陽は分裂時に「残留者は止めない」と言及し、数名が講談協会に留まった[11]。その後も2名の講談協会への移籍者がいるが、そのうち、二代目山陽の生前に移籍した香織は六代目小金井芦州の預かりになっている[12]。日本講談協会は落語芸術協会と提携しており[注釈 7]、一部は両協会の重複所属となっている(茜のみ落語協会との重複所属)。また、ひまわりは二代目山陽死後、落語家の五代目柳亭痴楽門下に移籍しており、この時に日本講談協会を退会したため、落語芸術協会のみの会員となっている(その後、真打昇進時に亭号も「神田」から現亭号に改めている)。名前の後の記号は以下の通り。○:落語芸術協会と日本講談協会の重複所属、◎:落語芸術協会のみ所属、※:落語協会と日本講談協会の重複所属、☆:講談協会のみ所属、無印:日本講談協会のみ所属。 神田山陽(2)† 神田松鯉(3)○ 神田山陽(3)○ 講談協会会長を務めた六代目芦州は弟子を取ることを好まず、あまり弟子を取らなかった。
宝井派
宝井小琴
宝井優星
宝井魁星
宝井琴嶺
宝井琴梅(5) 宝井梅福
宝井一凜
田辺鶴遊(2)
宝井琴凌(4)
宝井琴桜(2)
宝井琴調(4)
神田派伯龍一門
神田昇龍
神田派山陽一門
神田鯉風
神田山吹
神田阿久鯉○
神田鯉栄○
神田伯山(6)○ 神田梅之丞
神田青之丞
神田若之丞◯
神田松麻呂◯
神田鯉花○
神田松樹○
神田愛山(2)
神田翠月☆†
神田山裕†
神田陽子○ 神田京子○
神田桜子○
神田陽乃丸
神田紫○
神田紅○ 神田陽司†
神田紅葉†
神田蘭○
松林伯知(3)○
神田紅佳○
神田紅純○
神田紅希○
神田すみれ☆ 神田春陽☆ 神田ようかん☆
神田あおい☆
神田山緑☆ 神田山兎☆
神田山慶☆
神田董花☆
神田こなぎ☆
神田蓮陽☆
(神田香織☆)[注釈 8]
神田茜※
神田昌味
(日向ひまわり◎)[注釈 9]
小金井派