創業者の野間清治により1909年(明治42年)11月に「大日本雄弁会」(.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:大日本雄辯會、だいにっぽんゆうべんかい)として設立される。当初は弁論雑誌である『雄辯』を出版していた。「講談社」の名称はその名の通り「講談」に由来するもので、『講談倶楽部』を創刊した1911年(明治44年)から大日本雄辯會と併せて使用した[4]。評論家の徳富蘇峰は、戦前の少年や青年たちに大きな影響を与えた講談社を「私設文部省」と評した[5]。
1938年(昭和13年)10月に野間恒が2代目社長に就任すると共に株式会社に改組、同年11月に野間左衛が3代目社長に就任した。1945年(昭和20年)に野間省一が4代目社長に就任し、1958年(昭和33年)に「株式会社講談社」と改称。その後1981年(昭和56年)に野間惟道が5代目社長、1987年(昭和62年)に野間佐和子が6代目社長、2011年(平成23年)に野間省伸が7代目社長に就任し、現在に至る[4]。
「おもしろくて、ためになる」を企業理念に、戦前から大衆雑誌『キング』・『少年倶楽部』などの様々な雑誌や書籍を出版した。『吉川英治全集』・『日本語大辞典』などを出版する傍ら、多数の文学賞を主宰する。
2002年(平成14年)と2006年(平成18年)のFIFAワールドカップの際にはそれぞれFIFAオフィシャルブックとして、2002 FIFAワールドカップ『公式ガイドブック』・『公式プログラム』・『公式写真集』(総集編)、2006 FIFAワールドカップ『公式ガイドブック』・『公式総集編』を刊行している。
1982年以来、グラビア・ミスコンテストであるミスマガジンを何度かの中止を挟みながら開催してきたが、2012年からは新たにグラビアに限定しない女性アイドルオーディションであるミスiDを開催している。
1950年代からウォルト・ディズニー・カンパニーが保有しているキャラクターを使用した書籍の出版権を持っており[6]、東京ディズニーリゾートのオフィシャルスポンサーとして東京ディズニーランドにトゥーンタウンを、東京ディズニーシーにレジェンド・オブ・ミシカ(2014年9月7日ショー終演に伴い提供を終了)、タートル・トーク(2014年9月4日から)を提供している[7][8]。また、2022年11月には講談社が出版している漫画のアニメ作品をディズニー傘下の定額制動画配信サービスであるDisney+にて配信することでウォルト・ディズニー・ジャパンと合意している[6]。
また、2021年(令和3年)からはイギリスのサッカーチーム・リヴァプールFCとオフィシャル・グローバル・パートナーシップ契約を締結している[9]。
社屋本館の正面に東京メトロ護国寺駅の6番出入口がある。
沿革講談社野間記念館。美術品を中心に展示している美術館(文京区関口、2000年設立)。
1909年(明治42年) - 初代社長野間清治により本郷区駒込坂下町(現・文京区千駄木)にて大日本雄辯會を創立。
1910年(明治43年) - 大日本図書発行元として『雄弁』を創刊。
1911年(明治44年) - 講談社を起こし『講談倶楽部』を創刊。
1914年(大正3年) - 『少年倶楽部』を創刊。