1938年(昭和13年)10月に野間恒が2代目社長に就任すると共に株式会社に改組、同年11月に野間左衛が3代目社長に就任した。1945年(昭和20年)に野間省一が4代目社長に就任し、1958年(昭和33年)に「株式会社講談社」と改称。その後1981年(昭和56年)に野間惟道が5代目社長、1987年(昭和62年)に野間佐和子が6代目社長、2011年(平成23年)に野間省伸が7代目社長に就任し、現在に至る[4]。
「おもしろくて、ためになる」を企業理念に、戦前から大衆雑誌『キング』・『少年倶楽部』などの様々な雑誌や書籍を出版した。『吉川英治全集』・『日本語大辞典』などを出版する傍ら、多数の文学賞を主宰する。
2002年(平成14年)と2006年(平成18年)のFIFAワールドカップの際にはそれぞれFIFAオフィシャルブックとして、2002 FIFAワールドカップ『公式ガイドブック』・『公式プログラム』・『公式写真集』(総集編)、2006 FIFAワールドカップ『公式ガイドブック』・『公式総集編』を刊行している。
1982年以来、グラビア・ミスコンテストであるミスマガジンを何度かの中止を挟みながら開催してきたが、2012年からは新たにグラビアに限定しない女性アイドルオーディションであるミスiDを開催している。
1950年代からウォルト・ディズニー・カンパニーが保有しているキャラクターを使用した書籍の出版権を持っており[6]、東京ディズニーリゾートのオフィシャルスポンサーとして東京ディズニーランドにトゥーンタウンを、東京ディズニーシーにレジェンド・オブ・ミシカ(2014年9月7日ショー終演に伴い提供を終了)、タートル・トーク(2014年9月4日から)を提供している[7][8]。また、2022年11月には講談社が出版している漫画のアニメ作品をディズニー傘下の定額制動画配信サービスであるDisney+にて配信することでウォルト・ディズニー・ジャパンと合意している[6]。
また、2021年(令和3年)からはイギリスのサッカーチーム・リヴァプールFCとオフィシャル・グローバル・パートナーシップ契約を締結している[9]。
社屋本館の正面に東京メトロ護国寺駅の6番出入口がある。
沿革講談社野間記念館。美術品を中心に展示している美術館(文京区関口、2000年設立)。
1909年(明治42年) - 初代社長野間清治により本郷区駒込坂下町(現・文京区千駄木)にて大日本雄辯會を創立。
1910年(明治43年) - 大日本図書発行元として『雄弁』を創刊。
1911年(明治44年) - 講談社を起こし『講談倶楽部』を創刊。
1914年(大正3年) - 『少年倶楽部』を創刊。
1920年(大正9年) - 『現代』『婦人倶楽部』を創刊。
1924年(大正13年) - 『キング』を創刊。
1925年(大正14年) - 社名を大日本雄辯會講談社と改称。
1931年(昭和6年) - レコード部(現・キングレコード)を設置。
1933年(昭和8年) - 本社を小石川区音羽町(現・文京区音羽)に移転。
1938年(昭和13年) - 野間恒、2代目社長に就任(11月没)。野間左衛、3代目社長に就任。組織を株式会社とする。
1945年(昭和20年) - 日本報道社を定款変更し、光文社を設立。野間省一、4代目社長に就任。
1946年(昭和21年) - 豊国印刷を設立。
1952年(昭和27年) - 第一紙業を設立。
1954年(昭和29年) - 第一通信社を設立。
1958年(昭和33年) - 商号を株式会社講談社に変更。
1961年(昭和36年) - 音羽サービスセンター(現・講談社ビジネスパートナーズ)を設立。野間省一社長、出版文化国際交流会会長に就任。
1963年(昭和38年) - 講談社インターナショナル設立。
1964年(昭和39年) - 音羽建物を設立。
1970年(昭和45年) - 講談社サイエンティフィクを設立。
1972年(昭和47年) - ペック設立(現・講談社エディトリアル)を設立。野間省一社長、国際出版連合副会長に就任。
1975年(昭和50年) - 日刊現代を設立。
1977年(昭和52年) - 三推社(現・講談社ビーシー)を設立。
1981年(昭和56年) - 野間惟道、5代目社長に就任。
1987年(昭和62年) - 野間惟道死去に伴い、野間佐和子が6代目社長に就任。
2005年(平成17年) - 講談社(北京)文化有限公司を設立。
2008年(平成20年) - 講談社USA、講談社USAパブリッシングを設立。
2009年(平成21年) - 創業100周年。なお、100周年記念日の12月17日は、創業者・野間清治の誕生日に由来する[10]。
2010年(平成22年) - 星海社を設立。
2011年(平成23年) - 野間佐和子の死去に伴い、野間省伸が第7代社長に就任する。台湾講談社媒体有限公司を設立。
2015年(平成27年) - 講談社学芸クリエイトを設立。ハースト婦人画報社と業務提携、同社発行雑誌の発売元になる。
2016年(平成28年)11月 - 一迅社を完全子会社化。群像創刊70周年。本社、米国進出50周年。
2017年(平成29年)10月 - ポリゴン・ピクチュアズとの合弁会社講談社VRラボを設立。
2018年(平成30年)
3月 - pixivとの協業でマンガアプリ「Palcy」を立ち上げ。
4月 - マッチング型マンガ投稿サイト「DAYS NEO(デイズネオ)」オープン[11]。
2019年(平成31年)3月 - 週刊少年マガジン、週刊現代創刊60周年。
2020年(令和2年)
3月 - Mixalive TOKYO(ミクサライブ東京)の運営を開始[12]
9月 - インディーゲームクリエイターを支援するプロジェクト「講談社ゲームクリエイターズラボ」を始動[13]
2021年(令和3年)
4月 - 海外へのコンテンツ発信時に「講談社の作品」である事を周知してもらう事などを主な趣旨として、講談社としては初となるコーポレートロゴを制作・使用開始。