諸行無常
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「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味[1]

三法印[2]四法印のひとつ

上座部仏教における三相のひとつ[1]

諸法無我と並べられるが、行は因縁によって起こるこの世の現象を指すのに対し、法は涅槃すらも含むあらゆる事象を指している[1]

宋代の仏教書『景徳伝灯録』によれば、釈迦牟尼仏クシナガラ入滅した際、沙羅双樹の木の下で説いた言葉と伝えられる[3]。87
抜粋.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}

アッギヴェッサナよ、私はこのように弟子たちを戒める。このように頻繁に語る。
「比丘たちよ、
は無常、は無常、は無常、は無常、は無常である。
 比丘たちよ、色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我である。
 すべてのは無常である、すべての法は無我である。」と。—パーリ仏典, 中部35 薩遮迦小経, Sri Lanka Tripitaka Project [4]

「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と
明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。—パーリ仏典, ダンマパダ 20章277, Sri Lanka Tripitaka Project

Anicc? vata sa?kh?r? upp?davayadhammino,
Uppajjitv? nirujjhanti tesa? v?pasamo sukho

諸行無常 是生滅法
生滅滅已 寂滅為楽

実に諸行は無常である、生じては滅する性質である
生じて滅する、これらが鎮まるのがである。—パーリ仏典, 長部16, 大般涅槃経, Sri Lanka Tripitaka Project
解説.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "諸行無常" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年8月)
久保田米僊筆「半偈捨身図」。ヒマラヤで修行していた雪山童子は「諸行無常」の半偈(前半部)を羅刹から聞いた。童子は半偈の続きを羅刹に求めたが、生きた人肉を食す羅刹は空腹のため、続きを説くことはできないと答えた。童子は残りの半偈を聞くため自身を捨て、あなたに捧げると答えた。羅刹は後半部の半偈を童子に教え、童子は羅刹の口元に飛び込んだ。ところが羅刹は童子を食べずに帝釈天へと変わり、煩悩を一切持たない童子が将来に無上菩提となることを喜んだ[5]

仏教の根本思想をなすもので、あらゆるものは刹那(一瞬=きわめて短い時間)の間にも変化をくり返している(有為法)。仏法の三法印の一つで、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の3つからなる[2]涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」とあり、これを諸行無常偈、無常喝と呼ぶ[3]釈迦前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。

「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。

「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為のに対して寂滅をといっているだけである。後半偈は還滅門。生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観る(邪見;妄想を抱く)から苦が生じるのである(四顛倒)。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。


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