一年のうちのある一日にすべての聖人と殉教者を祝う習慣が始まったのは4世紀ごろであった。もともとこの習慣はアンティオキアで始まったようである。アンティオキアではペンテコステのあとの最初の日曜日が諸聖人の祝日となっていた[8]。金口イオアンの407年の説教の中にも諸聖人の祝日への言及がみられる。アンティオキアなど東方で行われていたこの習慣が、西欧に伝わったものが、諸聖人の日とされる。
カトリック教会における諸聖人の祝日の制定の起源に関しては、609年5月13日、教皇ボニファティウス4世が異教の神殿であったローマのパンテオンを聖母マリアと殉教者のためにささげ、それ以来5月13日が聖母と殉教者たちの祝い日となったという説がある。中世の研究者たちは、5月13日が古代のローマの宗教ではラミュレスといわれるさまよう死者の魂をなだめる日であったため、このラミュレスの日がキリスト教的に再解釈されて諸聖人の日になったと考えたが、現代ではこの説はあまり受け入れられていない。現代の研究者たちが有力と考えているのは、8世紀前半の教皇グレゴリウス3世がサン・ピエトロ大聖堂の中に使徒とすべての聖人・殉教者のための小聖堂をつくり、その聖堂の祝別の日が11月1日にうつされたことでやがて11月1日がすべての聖人と殉教者の日となったというものである[8]。記録によれば、シャルルマーニュの時代にはすでに11月1日に諸聖人の祝いを行うことが一般化していたことがわかる。835年にはルイ敬虔王の布告によって、フランク王国の中で11月1日が守るべき祝日となっている。
その後、宗教改革者たちによってプロテスタントでは聖人への崇敬が廃止されたため、プロテスタント諸国では徐々に廃れていった。しかしスウェーデンでは、諸聖人の日は死者のために祈る日となることで存続した。
アイルランドやケルトの習慣では諸聖人の日の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、キリスト教伝来以前から精霊たちを祭る夜であった。19世紀になって、北アメリカに移住した移民によってアメリカ合衆国に持ち込まれた習慣が「ハロウィン(Halloween)」である。「ハロウィン」は「ハロウ・イブ」がなまったものである。アメリカ合衆国では現在、このハロウィンの方が盛大に開かれる。だが諸聖人の日には、元々アメリカ国内にてカトリック教会の信徒が少ないせいもあって、これといった行事は催されないのが通常である。
なお、イギリスとカトリック諸国では諸聖人の祝日がその後も続いており、例えばポーランドでは11月1日と2日(死者の日)にサドゥスキーといってろうそくを持って墓参りをする習慣がある。ポーランドをはじめ伝統的にカトリック信徒の多い国では、いまも11月1日は国民の祝日になっている[2]。ポルトガルでは宗教的儀式に参加したり墓参りをする習慣が[9]、フランスではこの日に亡くなった親族のために花をささげる習慣がある[10]。ディアダスブルカスとして知られるポルトガル式のハロウィンは4月30日の夜に行われているが、諸聖人の日との関連はない。
脚注^ “All Saints' Day - The Meaning and History Behind November 1st Holiday