とりわけ朝日新聞批判は創刊以来のライフワーク的存在であり、しばしば特集を組んで批判論陣を張った。古くは本多勝一の『中国の旅』批判[注釈 10]、21世紀に入ってからは女性国際戦犯法廷のNHK番組改変問題で安倍晋三首相の主張と同じく「捏造を行った朝日」と批判を大々的に行った。
岩波書店で多く本を出し、雑誌『世界』に論文を掲載する主に左派文化人の呼称である「進歩的文化人」批判も多く行った。特にソ連解体(ソビエト連邦の崩壊)後の、左派文化人がソ連共産党の独裁体制や中国の文化大革命、北朝鮮の金日成崇拝を無条件で礼賛していた各種の過去の発言を雑誌や新聞から発掘し、個人名を挙げて出典付きで紹介する「悪魔祓いの戦後史」(稲垣武)の連載は山本七平賞を受賞した。
また、2001年2月号では南京事件論争では多種多様なアンケート結果を掲載し、誌上で産経新聞論説委員石川水穂(当時)の司会で「中間派」の秦郁彦と「まぼろし派」の東中野修道による座談会を行った。
1990年代には自由主義史観の主要論陣拠点となり、1996年に結成された新しい歴史教科書をつくる会に、産経新聞系の『正論』とともに深く関わっていた。
元統一協会員の仲正昌樹が斎藤貴男らを批判した「サヨクの最後の砦 - 「格差社会」「愛国心」「共謀罪」ハンタイ」(2006年8月号)に2ページでいいから反論させろと要求したところ、「読者投稿欄なら」との編集部の回答に失望したという[12]。数ページにわたる批判記事への言論人の反論には2ページ割いて反論を載せるのは従来『諸君!』の伝統であって、石井英夫のそれに対しても俵孝太郎は2ページ反論する機会を与えられている。斎藤は結局、投稿欄への反論を行わなかった。また、以前は本多勝一が投書欄への反論すら拒絶されたことで、訴訟沙汰となっている。本多は「掲載された本多への批判の論説は、本多が書いた記事の曲解に基づくものであり、読者に誤解をさせるから名誉毀損である」とし、発行元の文芸春秋社を提訴したが、判決は「掲載された文に本多の記事が引用されているため読者には元の文がわかる」として請求棄却であった。
文藝春秋社全体の広告収入の落ち込みもあり、社業全体の見直しの一環として2009年3月、創刊から40年となる2009年5月1日発売の2009年6月号で休刊することが発表された。
2012年1月31日、『文藝春秋』2012年2月号増刊という体裁で3年ぶりに復刊され、北朝鮮問題を特集した。 創刊1年目は毎月実売4万部、翌年からは良くて3万部強、悪い時には2万部前後、ちなみにこの頃の『中央公論』は実売8万部前後[4]。部数を伸ばしだしたのは1980年代初期であり、実売5万部?6万部。1984年の実売6万部であり、『中央公論』を4千部超える。以後『諸君!』は実売6万部前後を維持するが、『中央公論』は実売が経年と共に減少、実売数が開く[13]。2005年8月までの年間平均部数は8万部強、最高部数は2006年の8万5000部だったが、2008年9月までには約6万5000部に低落、実売は4万部を切っていた[14]。 末期の発行部数(社団法人日本雑誌協会 辻村明による『朝日新聞』論壇時評(1951年10月?1980年12月)の量的分析は以下のようになる[15]。「雑誌別言及頻度」は、1位『世界』(1390)、2位『中央公論』(1072)、3位『朝日ジャーナル』(注:1959年3月15日号創刊、556)、4位『文藝春秋』(467)、『諸君!』は後発(1969年7月号創刊)であるから言及は少なくなるが、創刊されてから絞っても『潮
発行部数
2008年64,000 部63,667 部62,250 部
『朝日新聞』論壇時評との関係
1981年1月(高畠通敏)?2009年2月(松原隆一郎)まで論壇時評者14人の言及した上位15誌は以下となる[17]。
朝日新聞論壇時評言及頻度(1981年1月?2009年2月)[17]順位雑誌名総数肯定的言及否定的言及
1世界46093.7%6.3%
2中央公論35585.6%14.4%
3エコノミスト22295.5%4.5%
4文藝春秋14390.2%9.8%
5朝日ジャーナル9198.9%1.1%
6Voice8086.3%13.8%
6諸君!8082.5%17.5%
8論座7389.0%11.0%
9現代思想5194.1%5.9%