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注釈^ これらは史料に諡と明記されているわけではなく実態は不明であり『史記本紀で武王が父祖に贈った「文王」「太王」「王季」が明記された最古の諡(謚)である。
^ ただし、降伏後、金によって昏徳公という侮蔑的な封号をつけられ、そのままで没している。死後に天水郡王に改封[6]
^ 顕宗天皇は奴隷として隠れた後に皇族の身分を明かしたという伝承に基づく諡号である。
^ 諡号には「ヤマトネコ」「タラシヒコ」のように同じ称を持つものがある。例えば、まだ諡号がなかった時代の7代孝霊、8代孝元、9代開化の諸天皇は「ヤマトネコ」の称を、12代景行、13代成務、14代仲哀の諸天皇は「タラシヒコ」の称をもっているが、これらの称はずっと下って7世紀の初めに実在した天皇の諡号にも見られ、後世の諡号を遡って付けた可能性(つまり、実在しなかった天皇を造作したのではないかという疑問)が提示されている。この外には「ワケ」「イリ」の称を共通に持っている天皇のグループがある。これらは同じ王朝を示す称であり、実在した天皇ではないかと推測する説もある。
^ 後述するように臣下では三輪子首の先例がある。また『日本書紀』では神功皇后の葬儀の日、追尊して気長足姫尊といったとあるが、実在性が疑われるため一般的には採用されない。
^ 後に重祚して48代称徳天皇となる。
^ 「聖」と「孝」は唐の多くの皇帝の諡号に使われた文字であり「文武」は上記の通り太宗李世民の諡号に使われている。
^藤氏家伝』によると不比等の父・藤原鎌足は太公の著書とされる『六韜』『三略』を愛読したという。
^西宮記』には光仁天皇の漢風諡号選定に関する記事があるが、ここでいう「光仁天皇」は現在の光孝天皇と見られ、その経緯は明らかではない。吉川真司は光仁天皇は崩御から100年近く和風諡号しか存在しなかった可能性を指摘した上で、光孝天皇の諡号が何らかの事情で「光仁」から「光孝」に変更された後に漢風諡号が存在していなかった光仁天皇の諡号に転用されたとする説を唱えている[14]
^詩経』では天乙も武湯または武王と呼ばれている。ただし武丁漢の武帝のように初代でない場合もある。

出典^ 鄭樵『通志』巻四十六諡略・序論第三では、当時の南宋の人々が「桀・紂が最悪の諡だ。その次に悪いのが桓・霊だ」といっていることについて「これは誤りである。桀・紂は名であり、諡ではない。桓は経書を見ると、周の武王の果断さと盛徳を称える意味である。詩経に『桓桓たる武王』という詩句があるのをこういう連中は知らないのだろうか。斉の桓公が偉大な人物だったことを知らないのか。霊も悪い意味など無い。」と呆れ果てている。実際、呉の武烈帝孫堅を称える韋昭の漢詩(『宋書』楽志及び『楽府詩集』)で「漢の末、董卓乱す。桓桓たるかな武烈、時運に応じ、義兵を興す。」(後漢末の董卓の乱を平定するため、桓桓たる武烈帝孫堅が立ち上がる)という詩句が存在する。
^ 平勢隆郎『世界の歴史2 中華文明の誕生』中央公論社、2001、P28?36
^ 前述の鄭樵『通志』巻四十六諡略・序論第三にある。
^ 成王という例のように、最初に成王が霊王という悪謚に与えられたが、成王の遺体の目が閉じなかったので、その代わりに成王というまあまあの美謚に与えられた
^ 懐帝は特に無能な皇帝に贈られ、曹操に専横されてほとんど政治的には無能力者だった後漢の献帝は劉備から「愍帝」と諡され、劉備の子、蜀の劉禅劉淵による追尊で「懐帝」と言われている。
^ 金史より。
^ 小島毅「国家祭祀における軍神の変質-太公望から関羽へ-『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096[要ページ番号]
^帝室制度史』第6巻P728・766-767。
^ 藤田覚「天皇号の再興」(『近世政治史と天皇』(吉川弘文館、1999年) ISBN 978-4-642-03353-4 第八章)
^ 野村朋弘 『諡』p134 中央公論新社2019年 ISBN 978-4-12-005194-4
^ a b c 中村元ほか(編)『岩波 仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、422頁。 
^ 天皇が高僧に贈る「大師号」って何? 平安時代から1000年、授かったのは25人:東京新聞2022年4月9日
^ 帝国学士院帝室制度史』 6巻 652-653
^ 吉川真司「後佐保山陵」(初出:『続日本紀研究』331号、続日本紀研究会、2001年/所収:吉川『律令体制史研究』岩波書店、2022年 ISBN 978-4-00-025584-4)2022年、P286-288.
^ 森?外 1919, p. 181.
^ 森?外 1919, p. 187-188.
^ 森?外 1919, p. 181-182.
^ 森?外 1919, p. 188-189.
^ 森?外 1919, p. 191-192.
^親長卿記』文明3年2月別記(内外書籍『史料大成. 続編 第39』、24-26p)

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