諡号
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上述の通り、以降は、諡号の形骸化のため廟号は諡号に代わって君主の生前の業績を評価する。太祖太宗高宗中宗世宗を除いて他の廟号は主な『逸周書』の「諡法解」を参照した。上記の謚号のように、一部の廟号は微妙な意味を持つことがある。皇帝個人の生涯の角度から、在位期が短く影響力のない皇帝は穆宗という廟号を贈られた。都から逃亡の経歴を持つ皇帝は徳宗という廟号を贈られた。さらに、婉曲な批判に用いられていた。著名な例は遊楽に耽って危うく国を傾けそうになった北宋徽宗(実際に亡国)である[注釈 2]。その他、一見美しい意味の廟号文宗英宗神宗は、たいてい暗君の称号に使われている。廟号と諡号は使い方が異なるので注意。同じ「武」の諡字が贈られ、「武帝」が賛辞に使用されている一方、「武宗」は遊興にふけった暗君の廟号として使用された。
后妃の諡

后妃たちに諡が見られるようになるのは前漢からであるが、この時代は皇后であっても諡のない女性も多い。気をつけるべきなのは、史書における后妃たちの表記では、姓や自身の諡の前に、必ず配偶者である皇帝の諡を冠していることである。

たとえば、前漢の武帝が寵愛した李夫人は、『史記』において「孝武李夫人」と記される。この場合「孝武」とは武帝(孝武皇帝)のことであり、李夫人の諡ではない。訓ずる場合は「孝武帝の李夫人」と読む。一方、武帝の曾孫・宣帝の皇后である許平君は「孝宣恭哀許皇后」と記される。この場合「孝宣」が夫帝の諡で「恭哀」は皇后自身の諡となり、「孝宣帝の恭哀許皇后」と訓ずる。

後漢になると、皇后(贈号も含む)には特殊な場合を除いて全て諡され、一部の后たちにも諡されるようになるが、基本的な表記は同じである。例えば、魏の文帝曹丕の皇后・郭皇后は諡が「徳」であるので「文徳郭皇后」と記する。曹丕の側室で曹叡の生母の甄皇后(贈号)諡を「昭」というので『魏志』における表記は「文昭甄皇后」、また「文」は文帝のことであり、皇后たちの諡ではない。「景懐夏侯皇后」「景献羊皇后」とあれば、それは「景帝の配偶者」という意味で「景」と付くのであり、彼女たちの直接の諡ではないのである。

皇后はほとんど美諡または平諡に贈られた。悪諡を贈られためずらしい例が北魏孝文幽皇后である。また、後漢の安思閻皇后桓思竇皇后霊思何皇后はみんな「思」の平諡に贈られたが、けなす意味が隠されている。

唐以降、皇帝の諡そのものが長くなると、后妃たちの諡も上記の法則を外れることになる。唐、宋代は2?4字であったが、明・清代には皇帝と同じく20字近い長さの諡が贈られた。どの時代も、皇后と皇妃では諡の文字数に差異があることが共通する。
臣下の諡

家臣などに対し、死後に生前より上位の爵位号を贈ることを爵諡という。たとえば関羽は死後、軍神(関帝)として祀られた際、後世の歴代の王朝から贈られている。死後40年後景耀3年(260年)蜀漢劉禅から前将軍・壮繆侯を贈られ、以降、北宋の徽宗から崇寧に忠恵公、大観に武安王、宣和に義勇武安王、南宋高宗から建炎に壮繆義勇王、孝宗から淳熙に壮繆義勇英済王、トク・テムルから天暦に顕霊義勇武安英済王、成化帝から成化に壮繆義勇武安顕霊英済王といった具合である[7]
周辺諸国への影響

中国の諡号は、朝鮮半島ベトナムの歴代王朝、西夏などでも使用され、歴代の王や皇帝やその家族、臣下などは中国風の諡号を付されている。後述のように漢字文化圏である日本にも大きな影響を与えたが、日本では中国風の諡号をそのまま使用する期間は短く、天皇に対して中国風の廟号を付けるようなこともされていない[注釈 3]
中国において用いられた諡字

『逸周書』「諡法解」にある諡として用いられる字は、全部で183字である。

分類文字
美諡(上諡)安 · 比 · 成 · 誠 · 崇 · 純 · 慈 · 聡 · 逹 · 大 · 戴 · 道 · 徳 · 定 · 度 · 端 · 敦 · 剛 · 高 · 革 · 公 · 恭 · 光 · 広 · 果 · ロ · 和 · 厚 · 胡 · 桓 · 徽 · 恵 · 基 · 簡 · 節 · 景 · 敬 · 靖 · 開 · 康 · 考 · 克 · 寛 · 匡 · 曠 · 類 · 礼 · 理 · 良 · 烈 · 密 · 敏 · 明 · 穆 · 寧 · 平 · 斉 · 祁 · 遷 · 欽 · 勤 · 清 · 頃 · 愨 · 確 · 譲 · 仁 · 容 · 栄 · 柔 · 睿 · 商 · 紹 · 深 · 神 · 聖 · 勝 · 世 · 淑 · 順 · 舜 · 粛 · 素 · 太 · 泰 · 通 · 威 · 温 · 文 · 武 · 熙 · 賢 · 顕 · 憲 · 献 · 襄 · 向 · 孝 · 信 · 修 · 宣 · 遜 · 堯 · 儀 · 義 · 毅 · 翼 · 懿 · 英 · 嬰 · 雍 · 勇 · 友 · 兪 · 禹 · 圉 · 裕 · 誉 · 元 · 章 · 昭 · 哲 · 貞 · 真 · 正 · 直 · 智 · 中 · 忠 · 壮
平諡(中諡)哀 · 沖 · 悼 · 鼎 · 懐 · 鑑 · 倹 · 介 · 凱 · 懋 · 閔 · ? · 彭 · 強 · 殤 · 傷 · 慎 · 声 · 舒 · 庶 · 思 · 息 · 僖 · 熹 · 玄 · 野 · 夷 · 逸 · 淵 · 原 · 遠 · 質 · 終
悪諡(下諡)蕩 · 丁 · 干 · 荒 · 惑 · 剌 ·  · 戻 · 霊 · 繆 · 携 · 虚 · 煬 · 隠 · 幽 · 願 · 紂 · 専 · 縦 · 醜

日本の諡号.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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日本天皇崩御後の称号には、諡号(しごう)と追号(ついごう)の別があり、諡号はその人の高貴さや具体的な高徳を表わした美称を死後に贈るものであり、追号は宮号名などを用いたものである。諡号として国風諡号漢風諡号の2種類がある。このうち、国風諡号は日本特有のもので、和風諡号・国語諡・本朝様諡等の別称がある。

奈良時代から平安初期にかけて、天皇(その称号自体が諡である)・后妃・皇太子の諡号には和風と漢風が併用され、例えば43代元明天皇漢風諡号を元明天皇、和風諡号を「日本根子天津御代豊國成姫」(やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)天皇といった。

現在は全ての天皇を、漢風諡号または追号を用いて「〇〇天皇」と呼んでいるが、明治3年(1870年)以前は63代冷泉天皇から118代後桃園天皇まで(81代安徳天皇と96代後醍醐天皇を除く)は「〇〇天皇」とは呼ばず、「〇〇院」と称していた。

なお、ここに記す天皇の代数は、現在の皇統譜による。


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