紀元前1世紀の兵法書『孫子』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」とあるように、古来から敵の情報を得ようとする試みが行われてきた。旧約聖書の民数記13章には、12人の斥候(英語版)をカナンの地に送り情報を得ていたことが描かれている。古代インドの帝王学の教科書『実利論(アルタシャーストラ)』には身分を偽装するなどで諜報ネットワークを構築して情報を得て、暗号化して送る仕組み等についての教えが掲載されている。
世界最古の諜報報告書は西アフリカのマリ王国へ送られたもので、外交使節を装ったスパイによって作成された紀元前1750年頃の都市国家バビロン第6代王ハンムラビの死を伝える情報に機密のマークが押された粘土板である[12]。
イギリスでは、18世紀にイングランド王国とスコットランド王国が合併しグレートブリテン王国が設立される際に、アン女王の諜報の幹部としてダニエル・デフォーが活動している。
アメリカでは第一次世界大戦中、ウッドロウ・ウィルソン大統領顧問の情報将校ウォルター・リップマンが、ハプスブルク帝国の存続を大統領に進言したが帝国は崩壊した。
日本では、江戸時代にオランダ商館にいた神聖ローマ帝国のドイツ人医師が日本地図を不法に持ちだそうとして露見したシーボルト事件があり、また、満州事変後から第二次世界大戦にかけてのソビエト連邦ゾルゲ諜報団の活動が露見したゾルゲ事件があった。 近代以降、諜報機関(espionage agencies)は国家を対象とするだけでなく、違法な麻薬取引
近代以降
情報機関(intelligence services)は、特定のインテリジェンス(情報収集)手法(英語版)をより重視する傾向がある。 例えば、旧ソビエト連邦は、公開情報収集分析(オープン・ソース・インテリジェンス)よりも人的情報収集(ヒューミント)を好む一方、米国は電波情報分析(シギント)や衛星画像収集分析(IMINT)のような技術的方法を重視する傾向がある。 ソビエト連邦では、軍事諜報機関(GRU)の将校は、彼らがリクルートしたスパイ(諜報エージェント)の数によって判断された[14] 。 諜報・スパイ行為は、多くの国の法令に基づく犯罪である。 米国では「1917年スパイ活動法」の取り締まり対象である。 中華人民共和国は、反スパイ法で自国に対する諜報活動を取り締まる一方、自国の諜報活動への協力を国家情報法で義務付けている。
各国の組織詳細は「情報機関」、「情報機関の一覧」、および「インテリジェンス・コミュニティー」を参照
米国「米国のインテリジェンス・コミュニティ(英語版)」も参照
ロシア「ロシア対外情報庁」および「ロシア連邦軍参謀本部情報総局」も参照
英国「秘密情報部(MI6)」も参照
日本「公安警察」、「公安調査庁」、および「情報本部」も参照
各国の法律
米国
中国
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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