諏訪栄町
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2010年(平成22年)4月4日、町内のグリーンモール商店街で三重県ご当地グルメ大会を開催し、地元の四日市とんてきが優勝を果たした[29]。2011年(平成22年)12月16日、三重県警察の三重県内一斉特別警戒日に合わせ、三重県知事鈴木英敬や四日市市長の田中俊行らが諏訪栄町を視察した[WEB 6]

ジャスコ四日市店

沿革

1889年(明治22年)4月1日 -
町村制の施行により、三重郡四日市町四日市(西町・南町)、浜田となる。

1897年(明治30年)8月30日 - 市制の施行により、四日市市四日市(西町・南町)、浜田となる。

1963年(昭和38年) - 住居表示の導入により、四日市市諏訪栄町となる。

1969年(昭和44年) - 諏訪栄町の一部が分離し、安島一丁目となる。

地名の由来

近鉄諏訪駅のあった頃より、四日市市で一番の繁華街として栄えていたことによる[26]
町名の変遷

実施後実施年月日実施前(各大字ともその一部)
諏訪栄町1963年(昭和38年)5月1日[30]四日市市四日市(西町・南町)、四日市市浜田[26]

世帯数と人口

2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

町丁世帯数人口
諏訪栄町411世帯688人

人口の変遷

1970年以降の人口の推移。なお、1995年以後は国勢調査による推移。1970年(昭和45年)1,316人[26]
1980年(昭和55年)803人[2]
1995年(平成7年)460人[WEB 9]
2000年(平成12年)394人[WEB 10]
2005年(平成17年)356人[WEB 11]
2010年(平成22年)465人[WEB 12]
2015年(平成27年)485人[WEB 13]

世帯数の変遷

1970年以降の世帯数の推移。なお、1995年以後は国勢調査による推移。1970年(昭和45年)316世帯[26]
1980年(昭和55年)270世帯[2]
1995年(平成7年)187世帯[WEB 9]
2000年(平成12年)173世帯[WEB 10]
2005年(平成17年)161世帯[WEB 11]
2010年(平成22年)241世帯[WEB 12]
2015年(平成27年)274世帯[WEB 13]

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 14]

番・番地等小学校中学校
全域四日市市立中部西小学校四日市市立中部中学校

商店街の特色諏訪栄町の商店街諏訪西商店街

1989年(平成元年)7月2日7月9日四日市大学の渡邊明と同学および名城大学の学生延べ70人が諏訪栄町と名古屋市の大須で行った来街者調査によれば、諏訪栄町の商店街をほぼ毎日訪れる人は所要時間30分以内では90%に達し、大須商店街と比較すると狭い範囲から来街している傾向が見られた[31]。来街理由は遊びや何となくとする人が多く、交通手段は20代から40代で自動車利用の割合が高く、滞在時間は半数以上が1時間以上滞在していることが明らかになった[32]。なお、諏訪栄商店街の評価は大須商店街に比べ「普通」とする人の割合が高かった[33]
交通
鉄道

近鉄四日市駅(所在地は安島一丁目)が最寄駅である。
路線バス

近鉄四日市駅バス乗り場

三重交通四日市営業所管内)

三岐鉄道バス

四日市市自主運行バス

道路

国道1号 - 諏訪栄町の東端を通る。

一番街通り - 旧近鉄線路跡。四日市市を代表する商店街となっている[2]

公園通り - 諏訪公園に通じる通りで、商店街となっており、20店からなる公園通り発展会が組織されている[WEB 15]

すずらん通り - 商店街となっている[WEB 16]すずらんの形をしたシャンデリアが設置されている[WEB 16]

中央通り - 諏訪栄町の南端を通る四日市市道。1989年(平成元年)の『四日市市都市景観ガイドプラン』では四日市中央都市軸(シンボルストリート)と位置づけられている[3]

諏訪前通り

諏訪西通り

諏訪栄通り

施設

近鉄百貨店四日市店

四日市スターアイランド

近鉄四日市駅前郵便局


四日市一番街商店街

四日市二番街商店街

四日市三番街商店街


四日市シティホテル

四日市アーバンホテル

百五銀行四日市駅前支店

百五証券四日市支店

みずほ証券四日市支店

岡三証券四日市支店


野村證券四日市支店

河合塾四日市現役館

eisu四日市駅東口校

諏訪公園

すわ公園交流館

四日市南警察署諏訪交番



史跡諏訪神社

諏訪神社

旧四日市市立図書館

出身者

玉井兄弟 - 民間飛行家

その他
日本郵便

郵便番号 : 510-0086
[WEB 3](集配局:四日市郵便局[WEB 17])。

脚注
注釈^ 本陣は個人所有となっていて、大正になって四日市市へ寄付された[11]


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