読売新聞
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1925年にラジオ欄の創設、1932年に「地方版」である「読売江東版」の刊行など、時代を先取りする紙面作りを行う一方、1927年ヌード写真を社会面に掲載し、「読売のエログロ主義」と呼ばれて批判も受けた[31]

1930年代、毎日新聞朝日新聞などと同様、いわゆる「十五年戦争」「大本営発表」に全面的に協力し、大東亜戦争を煽りたてる報道を行った。ただし当時、同業者からは「新聞記事は創作するのが練達堪能の記者とされ、やがて幹部に出世する大道」[49]「外電と称して実は編集室の机上でニュースを創り上げる」[50]と見られており、1938年に捏造記事「揚子江上英米軍艦訪問記」で記者が処分されると驚きをもって迎えられた。また、営利主義的に親ナチヒトラー礼賛の紙面作りを行い、1941年の独ソ戦開始直後から「独軍の電撃的勝利」「赤軍の全面的崩壊」とやったため、年末になると収拾できなくなった。その姿は同時代から「昭和年代のお笑い草」[50]とされた。

1948年昭電疑獄において、重要人物の召喚を次々と予告して的中させる、連続特大スクープをおこない、「朝起きたら読売を見る、自分の名前が出ていないのを確認して朝日を読む」といわしめるほどの報道をおこなった。このセンセーショナルな紙面作りを可能にしたのは、記者としての訓練をほとんど受けていない、入社3年目の駆け出し記者、24歳の立松和博である。立松和博の父・懐清は、朴烈事件の予審判事。そのため立松は、検察幹部に可愛がられ、「木内曽益 最高検次長検事―馬場義続東京高等検察庁次席検事河井信太郎東京地方検察庁主任検事」のラインに結びつくことに成功した。当時、GHQ内は、日本の占領統治をめぐって、右のチャールズ・ウィロビー少将と左のチャールズ・L・ケーディスが対立・分裂しており、ウィロビー少将は自由党の吉田茂を支持していた。「木内?馬場?河井」の検察ラインは、芦田均内閣を潰そうとするGHQの政治的思惑にそって、昭電疑獄をでっちあげて、検察が政治を支配する時代をつくりあげたのである。河井信太郎は、馬場の黙認の下、捜査情報を読売新聞にリークし続けた。検察は、読売新聞一社のみにスクープを独占・継続させることを通して、強烈なインパクトを各界にあたえ、芦田連立政権を崩壊させることに成功した。ただ、立松は、読売の連続スクープに息巻く他社の記者たちから、河井がネタ元であることを悟らせないようにするため、細心の注意を払わざるをえず、睡眠不足と疲労からヒロポンを打つほど心身がボロボロになり、ほどなくして休職に追いこまれることになる。1957年の売春防止法の読売新聞における大誤報事件は、取材体制の出遅れにあせった景山与志雄社会部長が、昭電疑獄時のエース記者、立松を病欠から呼びもどしたことからはじまった、という。なお、司法記者クラブが検事の家に夜討ち朝駆けをして「ネタ」を物乞いする習慣は、昭電疑獄から始まり、造船疑獄で定着、ロッキード事件ダグラス・グラマン事件リクルート事件では、検察関係者による報道機関に対するリーク、すなわち検察リークが猛威を振るうことになる。検事たちが思いあがり、報道機関が検察批判をすると、ただちに「出入り禁止」にする慣行は、三田和夫によれば、読売新聞による昭電疑獄・造船疑獄報道が原因、と、読売新聞の行為を厳しく断罪している[51]

1950年6月1日に電波三法が施行されたのに伴い、米国の資金と技術によって放送通信分野の国内基幹網を建設し、公共団体保安隊へ貸与する構想が浮上した事で騒動が起きた。1952年9月4日の読売新聞には、正力松太郎が中心的役割を担うマイクロ波中継構想が公表された。構想は二転三転したが、最終的に1954年暮れの参議院通信委員会決議により決着した。詳細は「正力マイクロ波事件」を参照

1954年3月、第五福竜丸被曝以降、読売新聞は、社主にして自民党議員、正力松太郎の政治力拡大と原発利権掌握の思惑から、CIAとの協力をえて、原子力平和利用を奨める『日本の原子力発電所建設』のため、積極的なキャンペーン記事を行った。ただ、日本の再軍備のため、独自に核兵器の開発能力を期待して、原発を推進した正力とCIAの思惑は一致せず、CIAが協力するにとどまったことが、有馬哲夫『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』により明らかにされている。

但し、この事は、東日本大震災における福島第一原子力発電所の水素爆発(福島第一原子力発電所事故)以降、改めて問題視され、2012年6月1日、ウォール・ストリート・ジャーナルは、読売新聞グループ本社社主と原子力発電の不透明な関係を世界に伝えた[52]。詳細は「日本の原子力政策」を参照


1957年10月18日、朝刊社会面トップ記事は、前年に成立した売春防止法をめぐって、反対運動を行っていた赤線(公認売春)組織から宇都宮徳馬・福田篤泰両代議士が収賄していた、というものであった。
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