読売新聞
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1月6日 東京本社(大手町)新社屋(読売新聞ビル、地上200メートル地上33F地下3F延べ床面積89,650平方メートル)が完成し、中央区銀座の仮社屋(日産自動車旧本社ビル)から移転[17]。
4月30日 西部本社がこの日をもって大分県での夕刊の発行を休止。朝夕刊セット地域から統合版地域に格下げとなるのは同県が全国初[注釈 7]。
11月7日 中学生・高校生を対象としたタブロイド判の週刊新聞『読売中高生新聞』創刊。
12月1日 「適正報道委員会」を新設[18]。今後は記事の「訂正」や「おわび」はすべて社会面に集約して掲載し、訂正などの有無をわかりやすくする。誤った理由も簡潔に説明する。地域版の「訂正」などは地域版に掲載する[19]。
2015年
2月2日 記事中の洋数字の書体をゴシック体から明朝体に変更。
4月9日 東京本社・北海道支社・北陸支社・中部支社発行分がこの日で紙齢50,000号を達成[7]。
2017年
7月18日 中部支社が名古屋市中区栄1丁目17番6号の旧社屋から北側200メートルの広小路通沿いに面した場所に建設された「納屋橋東地区市街地再開発」(テラッセ納屋橋)の商業・業務棟(中区栄1丁目2番1号)に移転。
2018年
7月 宮崎日日新聞社へ印刷委託・受託合意。
2019年
1月1日 「読売新聞」の購読料を値上げした。朝夕刊のセット版は4,037円から363円引き上げて4,400円に、朝刊のみの統合版は3,093円から307円引き上げ、3,400円に改定。消費税増税時の2度を除き、値上げは1994年1月以来、25年ぶり。[20]
2月1日 YOMIURI ONLINEと読売プレミアムが統合し、定期購読者も追加料金無料のインターネットサイト『読売新聞オンライン』を新たに開設。
6月 - 日本ABC協会の報告により、朝刊発行部数が798.8万部と報告され800万部を下回る。
7月19日宮崎日日新聞社佐土原センターへ西部本社朝刊(宮崎全域・鹿児島大半)委託印刷。
2020年
2月9日 横浜港着岸の新型コロナウイルス集団感染のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」へ読売新聞350部・ジャパンニューズ250部無料配布実施。(2月21日乗客下船/3月1日全員下船)。
3月1日 読売新聞大阪本社が「緊急時の新聞発行に関する相互協定」を中国新聞社と締結。
3月25日 読売新聞西部本社が「緊急時の新聞発行相互協定」を宮崎日日新聞社と締結。
4月1日 岩手日日新聞社の完全子会社「青森高速オフセット」の全株式取得し完全子会社にする。
4月1日 読売新聞と日本製紙が新聞古紙資源を100%国内で循環させる「クローズド・ループ」システム都内3区で稼働。
4月1日 読売新聞西部本社と宮崎日日新聞社が締結した「緊急時の新聞発行相互協定」が発効。
10月1日 「青森高速オフセット」を「青森読売プリントメディア」と改称。
2021年
12月 - 日本ABC協会の報告により、朝刊発行部数が699.2万部と報告され700万部を下回る。
2023年
3月25日 - 当日の朝刊紙面で「向こう1年値上げしない」[注釈 8]と社告。同日ウェブサイトも更新[21]。読売新聞は物価高騰が家計を圧迫する中で、読者に正確な情報を伝え、信頼に応える新聞の使命を全うすべきとし、虚偽の情報や偏った言論が拡散される中で、正確で公正な情報を提供する新聞の役割はより重要であり、読者にこれまで通り新聞を手に取ってもらえるよう、最大限努力するべきだ、と主張している。なお、このあと4月5日、朝日新聞が値上げを公表している。
2024年
3月23日 - 2023年に引き続き購読料を値上げしないことを社告で発表した。
3月 - 日本ABC協会の報告により、朝刊発行部数が598.0万部と報告され600万部を下回る。
民主主義を支えるため、全国の取材網、戸別配達網を堅持
題字の遍歴[22]
創刊当時は縦書きだった。
横書きの題字が初めて登場するのは、創刊1万号を達成した1905年4月8日の朝刊であるが、1万号の特集の単発的なものあった。
本格的に横書きの題字が登場するのは戦後に入ってからで、今日に至っている。なお、1949年11月に当時は読売新聞とは別枠で独自に発行していた夕刊読売は創刊当初から縦書きだった。また1975年に創刊された中部読売新聞も、創刊された当初は縦書きだったが、すぐ横書きに統一されている。
夕刊に掲載されていた題字のスクリーントーンは、夕刊読売が読売本紙と紙面統合された1951年9月から。以下脚注参照[注釈 5]。
横書きになってから、題字の下には「THE YOMIURI SHIMBUN」(夕刊はこの後に改行して「EVENING EDITION」)と表記されていたが、一度2002年1月に廃止された。その後2008年3月31日付夕刊からは朝刊と同様、題字上に「THE YOMIURI SHIMBUN」の表記が復活されている。
創業者京橋の読売新聞社。隣に勧業場。明治末期。武内桂舟画
子安峻、本野盛亨、柴田昌吉が創業し、子安が初代社長(1874-1889)、本野が2代目社長(1889-1909)を務めた。子安峻(1836-1898)は、大垣藩士子安宗茂の長男として生まれ、江戸に出て砲術、蘭学、舎密学、英語などを学んだのち、1868年に外務省高官となり、傍ら1870年横浜毎日新聞の創刊に関与し、横浜で日就社を創立、1873年には、英和辞典『附音挿図英和字彙』を柴田昌吉とともに出版、翌年読売新聞を発刊した[23]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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