読売テレビ
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1956年昭和31年)11月26日 - 10kWテレビジョン放送開設免許申請[7]

1957年(昭和32年)

1月14日 - 大阪読売新聞社(現・読売新聞大阪本社)内に創立事務所開設[7]

10月22日 - 予備免許交付。


1958年(昭和33年)

2月12日 - 新大阪テレビ放送株式会社設立総会[7]

2月13日 - 大阪読売新聞社などの出資により、準教育専門局「新大阪テレビ放送株式会社」(NOTV)として設立。登記完了[7]

8月1日 - 商号を「読売テレビ放送株式会社」(YTV)に変更。

8月3日 - 12時17分から試験電波発射[7]

8月16日 - 試験放送開始[7]

8月20日 - 本免許交付(呼出符号:JOIX-TV・呼出名称:よみうりテレビ)[7]

8月28日 - 9時[7]から、大阪市北区岩井町2番36号(後に住居表示実施に伴う町名変更により「東天満1丁目8番11号」に変更)から本放送開始(大阪 第2局)。それまで大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送テレビ)にネットされていた日本テレビ(NTV)の番組を移行させる形で開局した。日本テレビ系列局の第1号として「ステーション・ネット局」宣言を打ち出す(フルネット局の嚆矢)[注釈 6]


1959年(昭和34年)1月8日 - 早朝放送開始(8時から[注釈 7][7]

1960年(昭和35年)

1月20日 - カラーテレビ実験局の免許申請[7]

2月15日 - 米RCA社製の2インチのカラーVTRを導入[8][9]

3月31日 - カラー用スリー・ビデコン・カメラを設置。カラー放送開始へ向け、本格的な体制が整う。[9]

9月2日 - 14時20分からカラー放送試験電波発射。[7][10]

9月10日 - 近畿電波監理局の検査に合格し、13時15分[7]からカラーテレビ本放送開始(大阪地区ではNHK大阪放送局、朝日放送テレビと共に初)[注釈 8][11]。更に、日本初のカラースポット放送も開始する。[10]

10月21日 - 米RCA社製のカラーテレビカメラを設置。カラー番組の自社制作を開始。[10]

11月21日 - 米RCA社製のスタジオカラーカメラを導入。[12]

11月30日 - 自社の第3スタジオの放送設備のカラー化が完了。[12]

12月4日 - カラー中継車が完成。[12]

12月13日 - 西日本初のスタジオカラーカメラによる音楽番組「ユア・カラーショー」を放送。[注釈 9][11][12]


1962年(昭和37年)6月10日 - 電電公社のマイクロ波使用の東京→北陸→大阪へのテレビ下り同時ネット回線がカラー化。これにより、日本テレビからのカラーでの同時ネット中継が可能となる。[13][14]

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