読売ジャイアンツ
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リーグ優勝直後に阿部が引退を表明(後に二軍監督に就任)し、マシソンも引退を表明した[注釈 19]。オフには山口が球団初のポスティングシステムを利用し、トロント・ブルージェイズに移籍した[72]

この年は令和最初のペナントレースだったので、巨人は「令和最初のセ・リーグ優勝球団」となった。
2020年

シーズン前、ワシントン・ナショナルズで世界一に貢献した現役大リーガーのジェラルド・パーラシカゴ・ホワイトソックスチアゴ・ビエイラSKワイバーンズエンジェル・サンチェスを獲得した。

新型コロナウイルスの影響により、約3か月遅れとなった6月19日の開幕戦では吉川尚の逆転本塁打で3-2で逆転勝ちし、プロ野球史上初の球団通算6000勝を達成したのに続き[73]、翌日は6回まで3-1と接戦の状況から7回に打者一巡の猛攻で一挙8点を奪い連勝、3戦目も先制を許しながら4回に5点を奪って逆転し7-1で勝利。過去8度あった阪神との開幕カード3連戦で球団史上初のスウィープに成功(同一カード3連勝を達成)した。6月と7月にいずれも楽天とのトレードでゼラス・ウィーラー高梨雄平を、9月にロッテとのトレードで香月一也を獲得した[74]。開幕から快調に走り、7月に一度ヤクルトに首位を奪われるもすぐに奪い返し、その後は1度も首位を譲る事はなく、9月11日のヤクルト戦を2-1で勝利した事で原は川上を抜いて球団最多となる監督通算1067勝を、9月15日の阪神戦では菅野がヴィクトル・スタルヒン以来82年ぶりの球団開幕投手での開幕11連勝を達成。9.5ゲーム差で2位につけていた阪神の自力優勝を消滅させ、9月16日に残り46試合で達成した2013年を抜く、原政権最速となる残り48試合で優勝へのマジックナンバー38が両リーグ最速で点灯。菅野が9月29日の広島戦で開幕投手の12連勝を達成し、1938年春にスタルヒンが達成した球団記録を塗り替えたのに続き、10月6日のDeNA戦では2004年に岩隈(近鉄)が達成した開幕投手の連勝記録を抜き開幕投手の13連勝を達成。その後マジックは1度も消滅させる事はなく、亀井、中川、大竹、増田大輝が9月の終盤から10月にかけて揃って離脱したのが理由[注釈 20]で終盤の戦いに苦戦を強いられたが、10月30日の対ヤクルト戦終了前にマジック対象チームである2位阪神が引き分け、3位中日が敗戦した為、2年連続38回目のリーグ優勝が確定した[75]。11月8日に坂本がヤクルトとの東京ドーム最終戦で第1打席に2塁打を放ち、川上、長嶋、王、柴田、昨年引退した阿部以来球団生え抜きで史上6人目[注釈 21]、31歳11か月と榎本喜八に次いでプロ野球史上2番目の若さで、球団と右打者史上最年少での2000本安打を達成した。タイトルでは菅野が最多勝と最高勝率、岡本が本塁打王と打点王を獲得。球団では2010年のラミレス以来10年ぶり、日本人選手では2002年の松井以来18年ぶり、さらに日本人右打者に限ると1963年の長嶋以来57年ぶりの獲得である。新型コロナウイルスの影響により約3か月遅れの開幕戦となった関係で、クライマックスシリーズは開催されず、自動的に日本シリーズへ進出。開催時期に本拠地である東京ドームが都市対抗野球大会で使用される為、主催試合は京セラドーム大阪で2年連続でソフトバンクとの実施となった[76]。しかし、10月に月間22勝のプロ野球新記録を達成したソフトバンクとは対照的に、10月以降は13勝18敗4分け[注釈 22]と10月10日には最大で30あった勝ち越しが終わってみれば22まで減ってしまい、5連敗中で迎えた10月30日に優勝決定となった(この日は引き分けとなった)。この不調はそのまま日本シリーズに入ってからも続いてしまい、いずれの試合も3回までに失点して投手陣が崩れ、打線も4点しか奪えずに日本シリーズ史上初の2年連続ストレート4連敗となり、最低打率、最少得点、最小安打の日本シリーズワースト記録更新、2013年楽天戦からの同一監督(原)による9連敗の球団ワースト記録更新(連敗数は球団ワーストタイ)という屈辱的な数々の不名誉な記録を更新し敗退した[77]。また日本一を8年以上逸は球団ワーストとなり、日本シリーズを通して1イニングも0-0以外の同点に持っていく事すら出来ずにストレート4連敗で敗退したのも史上初である。
2021年

4月16日のDeNA戦で坂本がショートとして1778試合目の出場を果たし、この日出場がなかったロッテの鳥谷が持つ遊撃手通算最多出場記録を更新、6月1日の西武戦では岡本が球団史上7人目となる先発4番としての通算100号ホームランを達成した。24歳10カ月と、それまでの長嶋が持っていた27歳1カ月を大きく上回る球団史上最年少で達成した。その一方で、DeNAからFAで獲得した梶谷隆幸も度重なる故障で離脱した他、同じくDeNAからFAで獲得した井納翔一も3月31日の中日戦で1回0/3で5安打4失点とピリッとせず、以降中継ぎで登板するも5試合で防御率14.40と全く戦力にならず、新助っ人で獲得したエリック・テームズがデビュー戦となった4月27日のヤクルト戦で右足のアキレス腱を断裂する重傷を負い8月23日に、ジャスティン・スモークも新型コロナウィルスで家族が来日出来ないストレス[78]を抱えて6月17日に何れも自由契約になる等新戦力が揃って離脱し、シーズン途中に2年ぶりに復帰した山口もわずか2勝に終わり、暴力事件の謹慎中に日本ハムからトレードで獲得した中田翔が不振、菅野や丸が不調及びコンディション不良で二軍落ちするなど、悪いチーム状態が響き、勢いに乗れず交流戦明けには首位の阪神と8ゲーム差つけられるも一時は持ち直した。8月29日の中日戦に勝利して50勝37敗12引き分けで勝率.5747となり、当時阪神が55勝41敗3引き分けで勝率.572と勝率で上回った為、一時は「-0.5」ゲームで4月1日以来の首位に浮上した。ところが、9月3日から組まれていた阪神との甲子園3連戦で1勝も出来なかった試合以降は急降下、9月にリーグワーストタイの102失点、10月はリーグワーストの.220と打てず、急失速した。また先発投手を菅野、メルセデス、山口、高橋、戸郷の5人体制にした9月・10月で先発投手の成績は6勝20敗と勝利数と敗戦数どちらも断トツのリーグワーストで、球団史上初めて9月・10月で3度の5連敗以上を喫した上、9月2日には最大で15あった勝ち越しが僅か35試合というセ・リーグどころか、戦後最も早いペースでゼロになってしまい[注釈 23]、10月12日には今シーズンワーストの7連敗となり、リーグ3連覇が消えた。結局、シーズンは61勝62敗20分けと3年ぶりのシーズン負け越しが決まった。導入された2007年以降では史上最少の勝ち数でクライマックスシリーズ進出を決めた(同年は延長戦なしの9回打ち切りルールだった為、1978年を超える球団史上最多のシーズン20分けとなった)。


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