読売ジャイアンツ
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また、打撃陣ではオガラミ弾と呼ばれる3番・小笠原と4番・ラミレスのホームランにモノを言わせた強力打線、リーグ2位の78盗塁を記録する機動力野球を武器に後半戦も順調に勝ち星を重ね、7連勝中の9月19日から首位阪神に3連勝し、最終的に球団32年ぶりの12連勝を記録するなど猛追、同率首位で迎えた10月8日の最終直接対決で勝利し、セ・リーグ記録となる最大13ゲーム差[注釈 14]からの逆転優勝を果たし、1989年 - 1990年以来となるリーグ2連覇を達成した[注釈 15]。11.5ゲーム差を逆転し「メークドラマ」と呼ばれた1996年の優勝時以上の大差を逆転したので、マスコミは「メークレジェンド」と呼んだ。クライマックスシリーズでは第2ステージで中日と対戦、アドバンテージの1勝を含む3勝1敗1分で勝ち抜けし、2002年以来6年ぶりの日本シリーズへの出場を決めるが、リーグ連覇を決めた10月10日のヤクルト戦でキャプテン・阿部が二塁への牽制球を手から帰塁した際に右肩を負傷、診断の結果右肩関節挫傷で離脱。日本シリーズでは、阿部の出場機会が減った事が祟ってか先に日本一に王手をかけながら東京ドームに戻っての最後の2戦を落としてしまい、3勝4敗で西武に敗れた。ラミレスが打点王とMVP、グライシンガーが最多勝でタイトルを獲得、山口鉄也も最優秀新人に輝いた。日本シリーズ後、上原がFA宣言してMLB・ボルチモア・オリオールズへ移籍し、二岡智宏、林昌範が日本ハムへ移籍した。また、清水隆行が金銭トレードで西武へ移籍し、生え抜き選手が相次いでチームを去る形になった。一方、ヤクルトを自由契約になったディッキー・ゴンザレスを獲得した。巨人軍優勝パレード(2009年11月22日撮影)優勝パレードの原監督(2009年11月22日撮影)
2009年

シーズンは創設75周年を迎えた。原監督が2009 ワールドベースボールクラシック日本代表監督に就任した事もあり、オープン戦は伊原春樹ヘッドコーチが監督代行を務めた。シーズンに入ると、坂本を1番打者、松本哲也を2番打者に固定するなど選手起用が当たり、開幕8試合目で首位に立つとそのままシーズンを乗り切り、9月23日の対中日ドラゴンズ戦に5-3で勝利し、1965年から1973年のV9時代以来となるリーグ3連覇、33回目のセントラル・リーグ優勝を達成した。クライマックスシリーズでは、第2ステージで中日と対戦、アドバンテージの1勝を含む3勝1敗で勝ち抜けて日本選手権シリーズに出場を決めた。1981年の後楽園シリーズ以来となった日本ハムとの日本シリーズは、4勝2敗で勝利し2002年以来7年ぶり21回目の日本一を獲得した。11月14日には長崎で行われた韓国シリーズ勝者起亜タイガースとの日韓クラブチャンピオンシップに勝利し、日韓王者に輝いた。ラミレスが首位打者・2年連続MVPを獲得、またD.ゴンザレスが15勝2敗と大化けし、投手陣の柱となった。ドラフト会議では巨人を熱望してきた長野久義を1位指名で獲得した。
2010年

開幕直後に前年限りで現役を引退し、コーチとなっていた木村拓也が試合前の練習中にクモ膜下出血で倒れ逝去、野手では亀井義行、投手ではゴンザレスが不調でグライシンガーも故障で長期離脱だったが、ルーキーの長野久義(新人王獲得)を加えた強力打線は球団史上4度目のシーズン200ホームラン越え(226本)と相変わらずで開幕からしばらくの間は東野峻(13勝8敗)らを中心に先発投手陣も好調であり、首位に立っている時期も長かったが、7月以降は好調だった先発投手陣が不調に陥り[注釈 16]、野手陣でも坂本と松本が調子を落としてしまう。また、この年のクローザーのクルーンが不振に陥り、抑え投手がたびたび変わる等中継ぎ投手陣も安定しなかった。それでもラミレス(本塁打・打点の2冠)らの活躍により最後まで首位争いに絡み続けるが、前述の投手陣の低迷とナゴヤドームの中日戦で2勝10敗と大きく負け越したのが響き、中日と1ゲーム差ながらリーグ4連覇を逃した。だけではなく、引き分け以上で2位(クライマックスシリーズではホームアドバンテージを得る事が出来る権利)が確定する10月8日のヤクルトとの最終戦では逆転負けを喫し、3位に転落した。クライマックスシリーズでは甲子園での第1ステージで阪神に2連勝し勝ち上がるものの、続く第2ステージでは中日相手に1勝4敗で敗れ、敗退した。この年、不安定な投球が目立ったクルーンが翌シーズンの構想から外れ、退団した。ドラフト会議では、中央大学の澤村拓一をドラフト1位で指名し獲得した。
2011年

この年は3月11日に発生した東日本大震災の影響で開幕が3月25日から4月11日に延期。開幕戦は山口県の宇部市野球場で行われ[注釈 17]、1952年のフランチャイズ制導入以後、地方球場で初となる巨人主催試合開幕戦となった。また電力の節電要請で4月の東京ドームの使用を自粛、延期になった分を含めて大幅に試合日程が変更となっている。この年から導入された統一球の影響を受け、小笠原とラミレスが不調に陥り、打撃陣全体の長打力も2010年までと比べると激減(特に本塁打)する等、打撃陣が不振に陥った。一方で投手陣はルーキーの澤村拓一が4月21日に初勝利を挙げるなど、先発投手陣が引っ張った。しかし前半は、抑え投手が固定出来なかったこと、阿部慎之助が開幕時にケガで離脱したこと、獲得した多くの外国人選手が活躍できなかった事もあり、オールスターまでの前半戦はBクラスに低迷することとなった。それでも後半戦に入り抑え投手に久保裕也が固定できたことなどで8月に7連勝するなど調子を上げていく。終盤は阪神との3位争いとなったが、最終的には首位から3.5ゲーム差の3位で終了。クライマックスシリーズはヤクルトと対戦するが、先発投手が好投するも継投でつまづき1勝2敗で敗退となった。打撃陣では長野が首位打者、藤村大介盗塁王のタイトルを獲得。投手陣ではエース内海が防御率1.70と絶好調、18勝5敗で最多勝タイトルを獲得した。11月11日、ヘッドコーチ人事を巡って清武英利球団代表が渡邉球団会長が不当に介入したとして渡邉球団会長を告発する問題が起きた。清武球団代表はこれを理由に18日付で職を解任されている(詳細は清武の乱参照)。


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