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永久欠番
1:王貞治(1989年 - )本塁打世界新記録(868本)の功績を称えて決定。巨人では選手、助監督そして監督と通算30年使用していた。
3:長嶋茂雄(1974年 - )第二次監督時代の2000年から2年間復活した。
4:黒沢俊夫(1947年 - )現役中に腸チフスで死去。後述の沢村と共に日本プロ野球初の永久欠番となった。
14:沢村栄治(1947年 - )太平洋戦争で戦死。戦後今泉勝義と坂本茂がつけていたが、上記黒沢と同時に永久欠番となった。なお2014年3月10日、沢村の故郷である三重県伊勢市の伊勢市倉田山公園野球場で65年ぶりに行われた阪神とのオープン戦において、原辰徳監督はじめ全選手が永久欠番「14」をつけ、阪神はOBで沢村と同郷の西村幸生投手の背番号「19」を全選手がつけて試合が行われた。
16:川上哲治(1965年 - )引退後も着用していたが、1965年1月の野球殿堂入り決定後に永久欠番になった。当時監督だった川上はこの年から背番号を「77」に変更。
34:金田正一(1970年 - )球界初の通算400勝の功績を称え制定。
なお、2006年シーズン開幕よりこれら永久欠番の選手のユニフォームをかたどった(背番号のみで選手名ローマ字表記は無し)像を東京ドームの外野スタンド後方部の支柱部に設置。除幕式が同年開幕戦に行われ、本人や遺族等が招かれた[注釈 44]。 1947年に巨人の初代エースである沢村栄治の功績が称えられ、先発投手が獲得できる最高峰の表彰である沢村栄治賞が制定された[90]。巨人では歴代で14人が受賞(沢村が兵役で負傷後、ヴィクトル・スタルヒンが巨人のエースになっているが、この時、沢村賞は制定されていなかった[91]。また、歴代の巨人投手の受賞者で生え抜き投手では無いのは別所毅彦のみである)。巨人の歴代投手で複数回受賞しているのは堀内恒夫、高橋一三、斎藤雅樹、上原浩治、菅野智之の5人(他球団でも受賞している別所毅彦、小林繁も含めると7人)いる[90]。中でも斎藤が史上4人目の3回受賞し、プロ野球最多タイ記録となっている。
沢村栄治賞受賞者
中尾碩志 :1回(1948年)
藤本英雄 :1回(1949年)
大友工 :1回(1953年)
別所毅彦 :1回(1955年) ※1947年の南海時代も含めると2回。
堀本律雄 :1回(1960年)
伊藤芳明 :1回(1963年)