ドラフト会議では、この年の夏の甲子園で52年ぶりのベスト8に進出した高松商業高校の浅野翔吾を1位で指名。阪神と競合したが、原監督が引き当て交渉権を獲得した。なお、高校生野手の1位指名は14年の岡本以来8年ぶり。外野手として活躍した松井も1992年にドラフト1位で指名されたが、松井の高校時代は三塁手でプロ入りしてから外野手になったので高校生外野手のドラフト1位は球団史上初である。11月2日、丸をFAで獲得した事による人的補償で広島に放出した長野が無償トレードで5年ぶりに復帰。11月11日には福岡ソフトバンクを退団していた松田宣浩を支配下選手として契約することを発表した[81]。12月9日に行われた2022年度現役ドラフトにより、楽天のオコエ瑠偉の入団が決まり、戸根千明が広島に移籍すると発表された[82]。
2023年
2020年以来3年ぶりにスローガンとして「奪回」を掲げ、優勝の奪回を誓うシーズンとなった。
シーズン開幕前の3月9日に横川、堀岡を、24日に梶谷を、30日に田中豊樹を、それぞれ計4名の育成選手を支配下登録した。シーズン開幕後も4月10日に橋優貴を、5月4日に三上を、同月14日に平内を、同月15日に松井颯を、7月28日に高木京介を支配下登録した。シーズンを通して6連敗以上がなかった一方で交流戦まで4連勝以上もなく、3・4月は借金3。5月も1の借金で終えるが、交流戦では6月17日まで優勝の可能性を残す大健闘。6月16日の楽天戦に勝利して貯金を5に伸ばしたが最多の貯金はその試合まで。同一リーグに戻っての公式戦はオールスターまで3連勝がなく借金2で後半戦を迎えると、7月27日の阪神戦から8月3日のヤクルト戦までは6勝1敗で勢いに乗りかけたが、その勢いは翌日行われた広島戦から8月11日のDeNA戦にかけての1勝6敗で帳消し。8月3日以降貯金を3以上に増やす事はなく、9月12日の阪神戦に敗れて3年連続のリーグV逸が確定し、9月26日のDeNA戦では前日に続いて0-1で敗れた[注釈 30]事でクライマックスシリーズ進出が絶望的となり、9月29日にDeNAが阪神に勝った事で2007年に導入されて以降では球団史上初めて2年連続でクライマックスシリーズ進出の可能性が完全になくなった。原は同一監督の2年連続Bクラスという球団史上初の屈辱となった。特に決定打となったのは阪神戦の弱さで、翌日勝ったものの9月20日に敗れた事で6勝1分18敗となり球団史上2回目となる伝統の一戦3年連続負け越しに加え、1950年に2リーグ制になって以降球団史上初の伝統の一戦負け越し二桁。球団史上最多の負け越し12と18敗。球団史上最少の6勝。DeNAに買収される前にあたる2005年の横浜戦と2006年の中日戦でともに6勝16敗の.273を抜いて.250とセリーグの全カード別では球団史上最少勝率。8月26日に敗れた事で1952年のフランチャイズ制以降では後楽園球場時代も含めて球団史上初のホームでカード勝ち越し及び連勝なし。甲子園球場に対象を拡大しても連勝もカード勝ち越しもなかった。投手陣は戸郷が12勝を挙げ、山ア伊織がDeNAと戦った10月4日のシーズン最終戦でプロ入り初の10勝を挙げた一方、2人に続いたのがフォスター・グリフィンの6勝で2年連続で日本人の先発サウスポーがピリッとせず(左投手のチーム最多勝は横川の4勝どまり)、13年ぶりにセリーグ5球団から勝利を挙げた先発投手がおらず、3月18日の日本ハム戦で菅野が右肘の張りで辞退し球団史上初の新外国人による開幕投手を務めたタイラー・ビーディ[注釈 31]は1勝も挙げられなかった。7月3日に新外国人選手アルベルト・バルドナードを、5月18日にオリックスから廣岡とのトレードで鈴木康平を獲得するも状況は改善されず延長戦で打たれるケースも目立ち、救援投手の防御率3.81と延長戦の20失点はいずれも12球団ワースト。特にシーズンが進むと6月に大勢が右上肢のコンディション不良で出場選手登録を抹消された為、7月以降の救援防御率は7月が3.47、8月が3.80、9月が3.91と7月と9月は12球団ワーストと夏場から秋口にかけてさらに悪化した。岡本が41本と球団史上3人目の6年連続30本塁打以上となり2年ぶり3回目のホームラン王になったものの、得点圏は.233。大城卓三が初の規定打席に到達し自身最高打率となる.281だったものの得点圏では.227とセ・リーグ規定打席到達者の中ではワースト4位だったのに加え、得点圏打率と年間打率の差がマイナス.054と中日の石川昂弥(シーズン打率が.242で得点圏打率が.184でその差は.058である。)に次いで12球団の規定打席到達者でもブービーで得点圏打率と年間打率の差がマイナス3分以下だったのは坂本と前述の岡本と大城卓三で3人と12球団最多。