読売ジャイアンツ
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また先発投手を菅野、メルセデス、山口、高橋、戸郷の5人体制にした9月・10月で先発投手の成績は6勝20敗と勝利数と敗戦数どちらも断トツのリーグワーストで、球団史上初めて9月・10月で3度の5連敗以上を喫した上、9月2日には最大で15あった勝ち越しが僅か35試合というセ・リーグどころか、戦後最も早いペースでゼロになってしまい[注釈 23]、10月12日には今シーズンワーストの7連敗となり、リーグ3連覇が消えた。結局、シーズンは61勝62敗20分けと3年ぶりのシーズン負け越しが決まった。導入された2007年以降では史上最少の勝ち数でクライマックスシリーズ進出を決めた(同年は延長戦なしの9回打ち切りルールだった為、1978年を超える球団史上最多のシーズン20分けとなった)。2年ぶりに開幕したクライマックスシリーズでは、2位の阪神に2戦とも4点を奪ってファイナルステージ進出を決めた。しかし、セ・リーグ優勝のヤクルトとのファイナルステージでは2年連続ホームランと打点の2冠王に輝いた岡本の左脇腹痛による不在の影響等で3試合で2点(出場したファイナルステージでは史上最少得点)の致命的な得点力不足が祟り、結局3敗1分けで敗退した。
2022年

開幕戦で中日のエース・大野雄大から4点を奪い逆転勝ち。球団史上最多となる8度目の開幕投手を務めた菅野が別所毅彦斎藤雅樹を抜いて球団新記録の開幕戦5勝目を挙げたのに続き、新外国人のグレゴリー・ポランコがいきなり3安打の猛打賞を記録、球団の新外国人選手が開幕戦で3安打を放ったのは1980年のロイ・ホワイト以来42年ぶり2人目でその3本目が決勝打となった為、開幕戦で猛打賞と勝利打点を放ったのは球団の新人、新外国人史上初である。また球団史上初の下の名前のみを登録名にした日本人選手となったドラフト1位ルーキーの大勢が開幕戦でセーブを挙げ、球団とセ・リーグ新人史上初の開幕戦セーブを達成した[注釈 24]のに続き、翌日もセーブを挙げた為、新人が開幕から2試合連続でセーブを達成したのはプロ野球史上初となった。3戦目こそ落とすものの、ヤクルトと阪神という前年の上位2チームに何れもスウィープに成功して6連勝を飾り9試合終了時点で8勝1敗は川上が指揮を執った1963年以来59年ぶり。その間に2019年のドラフト1位の堀田賢慎が3月31日のヤクルト戦、2020年の育成ドラフト7位の戸田懐生が4月2日の阪神戦、2021年ドラフト3位でルーキーの赤星優志がその翌日(4月3日)に何れもプロ初勝利を達成し、開幕から9試合でプロ初勝利投手が3人生まれたのは球団史上初である。なお、大勢は4月6日の広島戦で7セーブ目を挙げ、7試合連続セーブは球団の新人記録であると共に1978年角三男と並んで球団の新人タイ記録に並び、4月13日に球団史上初めて沖縄での主催ゲームとなった沖縄セルラースタジアム那覇でのDeNA戦で8セーブ目を挙げ球団新人史上最多のセーブ記録を44年ぶりに更新した。また4月19日の広島戦では公式戦21試合目で10セーブ目を挙げ2013年の西村健太朗(公式戦23試合目で10セーブ)を抜いて球団史上最速で2桁セーブを達成したのに加え、6月4日のロッテ戦も2-1の状況で9回に登板して早くも60試合目で20セーブ目を挙げ、1990年に入団した与田剛の68試合を抜いて新人史上最速となった[注釈 25]。その4月19日には坂本が第2打席で先制のホームランを放ったのに続き、第3打席でレフト前ヒットで出塁し969本だった阿部作戦兼ディフェンスチーフコーチを抜き、東京ドームの通算安打数で最多となる970本目のヒットを放ち、岡本は5月29日の日本ハム戦で通算150号を日本人選手としては最速となる634試合目で達成した。球団全体でも、ウォーレン・クロマティの612試合に次ぐ早さだった。4月28日には最大で勝ち越しを11作りながらキャプテンの坂本が4月30日の阪神戦で途中交代し5月1日に右膝内側側副靱帯損傷で、「1番・セカンド」として当時リーグ最多の44安打と打線を引っ張っていた吉川が5月4日の広島戦で黒原拓未に左肩甲骨付近へのデッドボールを受けて肩甲骨の骨挫傷で5月6日にそれぞれ出場選手登録を抹消されたのも重なり、途中で二遊間のレギュラーを失ったゴールデンウィークは1勝8敗と急失速で首位から陥落した。なお、その間に4月9日のヤクルト戦では前述の大勢が、4月21日の広島戦では2020年のドラフト1位の平内龍太が、4月28日のDena戦では2020年のドラフト2位の山ア伊織がそれぞれ今季4・5・6人目のプロ初勝利を手にした。交流戦こそ8勝10敗と2つの負け越しに留まりながらヤクルトが14勝4敗と驚異的な成績で勝ちを積み重ねたのも重なった事から、交流戦開始前は1ゲーム差で追走していたのが6月12日の交流戦終了時点で7ゲーム差、6月26日のヤクルト戦で10-11で競り負けた事で6月27日だった2003年を抜き、2リーグ制では球団史上最速で自力優勝が消滅した。7月15日からの広島との3連戦ではそれぞれ磯村嘉孝(15日)、長野(16日)、堂林翔太(17日)、その翌18日のヤクルト戦でもホセ・オスナと、合わせて4試合連続で満塁ホームランを打たれ、プロ野球史上ワースト、同一カード3連戦3戦連続満塁弾被弾および、4試合連続満塁弾被弾という記録を樹立してしまった[79][80]。また8月5日からのヤクルトとの3連戦中に初戦で戸田がオスナに、2日後の3戦目でマット・シューメーカードミンゴ・サンタナにそれぞれ満塁弾を打たれているので、2004年の7本を超えて同一シーズンで満塁弾を打たれたのが8本目と球団史上最多(ヤクルトに5本も満塁弾を打たれているので、中日に4本打たれた2006年を超えて同一球団に許した満塁弾も球団史上最多である)[注釈 26]。8月13日の広島戦では直江大輔が7人目の、9月23日の中日戦で井上温大が8人目のプロ初勝利。宮國、星野真澄、高木京介、田原、小山雄輝笠原将生がプロ初勝利を挙げた2012年を抜いて球団史上最多となったが、最多奪三振のタイトルを獲得した戸郷と最終戦にあたる10月2日のDeNA戦で10勝を挙げた菅野以外が続かず、メルセデスも6月4日のロッテ戦で5勝目を挙げたもののその日を最後に11試合勝ちがなく6連敗で5勝7敗。前年27試合に登板しチーム最多の11勝を挙げた高橋優貴が10試合の登板で1勝どまり、前年に日本球界に復帰した山口も4月8日以降は登板なしと先発陣が振るわず防御率は3.64とワースト3位。中川も1月のキャンプ前に腰痛を発症し、以降全休した。中継ぎ陣も37セーブと新人最多タイ記録を達成した大勢は9回に固まったものの、大勢に繋ぐ為の8回を担うセットアッパーが固まらず8回の78失点はイニング別で最多でありリーグワースト。加えて打撃陣も新外国人のアダム・ウォーカーとポランコ[注釈 27]、既存戦力から岡本、丸、中田の合わせて5人が20本塁打以上をマークし、2007年以来15年ぶり[注釈 28]の20発クインテットが誕生するなど、本塁打数こそリーグ2位の163本をマークしたものの、チーム打率は.242でリーグワーストで3年連続で規定打席到達者の3割バッターが不在(最も打率を稼いだのが吉川尚輝の.277)。


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