作者がキャラクターの知ること感じることすべてをあらわにする意図がない場合、語り手をキャラクターすべてを三人称で呼ぶような第三者の視点に置くという選択肢もある。特に「全知の三人称の語り手」は、自分のことしか知らない一人称の語り手とは対照的に物語の世界を概観し、多くのキャラクターの心情を探り、物語の大きな背景を眺める視点を読者に与える。多数のキャラクターによる視点や筋書きが重要な物語の場合、三人称視点の語り手は適切な選択肢である。 作者は、複数の語り手に異なった視点から物語を語らせることもできる。物語の各部分の語り手のうち、誰が一番信頼できそうかを決めるのは読者次第である。例えば、スティーブン・キングの『キャリー』では第三者が語るストーリーの間に、複数の登場人物たちによる文章や証言が導入されている。 信頼できない語り手は、一人称の物語を背後から動かす力で、語り手の偏見、能力の限界、欲望などからナレーションがゆがむことである。語り手の人格について読者が知るための唯一偏りのない手がかりは、語り手自身の語り方である。すべての語り手は信頼できないともいえ、『白鯨』の語り手で信頼の置けそうなイシュメールから、ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』における複数の語り手たち(特に知的障害を抱えるベンジー)や、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』における犯罪者ハンバート・ハンバート教授まで、語り手の信頼度には大きな幅がある。 信頼できない語り手の例としては『日の名残り』の執事スティーヴンス、『グレート・ギャツビー』のニック・キャラウェイ、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・コールフィールド、映画『ユージュアル・サスペクツ』のヴァーバル・キント、芥川龍之介の『藪の中』や映画『羅生門』の証言者たちなどが挙げられる。19世紀から20世紀にかけて活躍した文学者・ヘンリー・ジェイムズの小説は、すべて語り手の視点の限界や彼らの語りの背後にある動機などが重要な役割を果たしている。 信頼できない語り手はフィクションに限ったものではない。回顧録・自伝・自伝的フィクション(オートフィクションなど)には語り手たる作者とキャラクターたちが登場する。時として、作者は事実を歪曲して本当に「信頼できない語り手」となることもあれば、ある目的から自ら「信頼できない語り手」の人格を使うこともある(例えば、映画『バスケットボール・ダイアリーズ』の原作となったジム・キャロルの自伝的小説、『マンハッタン少年日記』など)。
複数の語り手
信頼できない語り手詳細は「信頼できない語り手」を参照
参考文献
『物語のディスクール』ジェラール・ジュネット著、花輪光・和泉涼一訳 水声社
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外部リンク
百科事典マイペディア『語り手
精選版 日本国語大辞典『語手