叙事詩は広く認められるジャンルの1つであり、その時代の文化にとって英雄的もしくは重要な性質の出来事に関する長大な詩としてしばしば定義される[68]。抒情詩も広く認められるジャンルであり、短く、美しい調子を持ち、観照的な傾向を持つ。批評家によってはより細かいサブジャンルへと詩を分類し、個々の詩は数多くの異なったジャンルに同時に属すると見做されもする[注釈 25]。多くの場合、共通する伝統の結果として、詩のジャンルは文化を超えて同じ特性を見せる。
以下に一般的なジャンルをいくつか記述するが、ジャンルの分類、その特質の記述、そして詩をジャンルに分類しようとする理由そのものすらもさまざまな形を取りうる。
物語詩ジェフリー・チョーサー詳細は「物語詩」を参照
物語詩は物語を語る詩のジャンルである。広義には叙事詩も物語詩に含まれるが、「物語詩」という用語はより小さな、概してより人間的興味に訴えるような作品に用いられることが多い。
物語詩は最も古い詩の種類であったかもしれない。多くのホメロス研究者は、『イーリアス』と『オデュッセイア』が一晩の娯楽により適している個別のエピソードに関する短い物語詩の編集(コンピレーション)により構成されたものであると結論している。多くの物語詩――スコットランド人やイングランド人のバラッドやスラヴ人の英雄詩など――は文字使用以前の口承に起源を持つ実演詩 (en:performance poetry) である。メーター、頭韻法、ケニングなどの詩を散文と区別する要素のいくつかはかつて伝統的な物語を暗唱する吟遊詩人たちの記憶術として機能していたのではないかと推測されている。
主要な物語詩人としては、オウィディウス、ダンテ・アリギエーリ、ファン・ルイス、ジェフリー・チョーサー、ウィリアム・ラングランド、ルイス・デ・カモンイス、ウィリアム・シェイクスピア、アレキサンダー・ポープ、ロバート・バーンズ、フェルナンド・デ・ロハス、アダム・ミツキェヴィチ、アレクサンドル・プーシキン、エドガー・アラン・ポー、アルフレッド・テニスンなどがいる。
叙事詩『ラーマーヤナ』よりランカの戦争。サヒブディン画(1649-53)詳細は「叙事詩」を参照
叙事詩は詩のジャンルの1つであり、また物語文学の主要な形式の1つでもある。叙事詩は持続的な語りにより英雄的もしくは神話的な人物(たち)の生涯と業績を物語る。
叙事詩の例として、ホメロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』、ウェルギリウス『アエネーイス』、『ローランの歌』、『ニーベルンゲンの歌』、ルイス・デ・カモンイス『ウズ・ルジアダス』、『わがシッドの歌』、『ギルガメシュ叙事詩』、『マハーバーラタ』、ヴァルミキ (en:Valmiki)『ラーマーヤナ』、フェルドウスィー『シャー・ナーメ』、ニザーミー『ハムセ』(「五部作」)、チベットの叙事詩『リン・ケサル大王伝』、アイヌのユーカラなどがある。
西洋では20世紀初頭以降は叙事詩や長詩全般があまり書かれなくなったが、それでも若干の重要な叙事詩は書かれ続けている。デレック・ウォルコットはその叙事詩『オメロス』に主によりノーベル文学賞を受賞した[69]。
劇詩ゲーテ『ファウスト』、ファウストとグレートヒェン詳細は「劇詩」、「ギリシア悲劇」、「戯曲 (中国)」、および「能」を参照
劇詩は語りもしくは歌われるよう書かれた韻文の演劇である。多くの文化にさまざまな、また場合によっては類似した形式で存在する。韻文劇はサンスクリットやギリシアの叙事詩のような初期の口誦叙事詩から発達したものであるかもしれない[70]。
韻文によるギリシア悲劇は紀元前6世紀に遡り、サンスクリット劇の発達に影響を与えた可能性がある[71]。同様にインドの演劇は中国の戯曲の先触れとなった「変文」(zh:變文)の韻文劇の発達に影響を与えた可能性がある[72]。東アジアの韻文劇には日本の能(謡曲)もある。
ペルシア文学の劇詩には、ニザーミーの著名な劇作品『ライラとマジュヌーン』『ホスローとシーリーン』[73][74]、フェルドウスィーの『ロスタムとソラブ』などの悲劇、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの『マスナヴィー』、アサド・グルガニーの悲劇『ヴィスとラミン』[75]、Vahshi Bafqiの悲劇『Farhad』などがある。
西洋では伝統的に悲劇と喜劇を二大分野としてきた。韻文による悲劇ではギリシア悲劇の三大悲劇詩人(アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス)、後世のシェイクスピア、ジャン・ラシーヌなどがいる。喜劇ではアリストパネスやモリエールなどが代表的であるが、「喜劇」は必ずしも滑稽さを前提とはせず、ダンテの『神曲』(La Divina Commedia) なども分類上は喜劇となる。ゲーテ『ファウスト』のようにどちらにも分類されない劇詩も多い。今日では戯曲が韻文で書かれることは稀である。
風刺詩ジョン・ウィルモット
詩は風刺の強力な媒体にもなりうる。韻文で表された侮辱の一撃は、散文で言われもしくは書かれたものより格段に強力かつ記憶に残りやすいものになりうる。古代ローマ人は風刺詩の強い伝統を有しており、しばしば政治的な目的で書かれた。有名な例としては詩人ユウェナリスの風刺詩があり、その侮辱は社会のあらゆる範囲を刺した。マヌエル・マリア・バルボサ・ド・ボカージェ
イギリスの風刺の伝統にも同じことが言える。当時の加熱した政治状況に巻き込まれ、かつての友人であったホイッグ党のトマス・シャドウェルに風刺されたトーリー党のジョン・ドライデン(最初の桂冠詩人)は、1682年に『マクフレクノー』、副題「真の保守プロテスタント詩人T.S.の風刺」という、英語で書かれた息の長い罵詈雑言作品としては最も偉大なものの1つを著した。