日本では明治以降蒲原有明、上田敏、中原中也、立原道造などがソネットでの詩作を行ったほか、戦中・戦後にもマチネ・ポエティクの詩人たちが定型押韻詩の試みとして押韻したソネットを集団的に書いた。
セスティーナ詳細は「セスティーナ」を参照
プロヴァンスのトルバドゥールたちを起源とするセスティーナには6つのスタンザがあり、各々が押韻しない6行から形成され、最初のスタンザの各行末の単語が周期的なパターンで他のスタンザに再登場する。これを各語を2つずつ含む3行から成るスタンザが締め括る。
ヴィラネルW・H・オーデン詳細は「ヴィラネル」を参照
ヴィラネル(原義は「田園詩」)は5つの三行連と末尾の四行連から成る19行詩である。最初のスタンザの1行目と3行目に用いられた2つのリフレインが以降のスタンザの末尾で交互に用いられ、最後の四行連は両方のリフレインで締め括られるのが特徴となっている。それ以外の各行は「a-b」の交韻を持つ。19世紀末以降、ディラン・トマス[54]、W・H・オーデン[55]、エリザベス・ビショップ[56]などに見られるように英詩でしばしば用いられるようになった。全体として既存の詩型が用いられなくなる時代にあって、逆に広く用いられるようになった詩型である[要出典]。 パントゥーン
パントゥーン
ロンドー詳細は「ロンドー」を参照
ロンドーは元々はフランスの詩型であり、2つの脚韻を用いた「5-4-6」の3連15行で書かれ、1行目の冒頭部がリフレインとして第2・第3連の最後の行に用いられる。
近体詩杜甫詳細は「近体詩」を参照
近体詩は古典中国語の四声(平声、上声、去声、入声)を用いた各二行連での声調のパターンに基づく中国の詩型である。近体詩の基本形は二行連4つの計8行(8句)から成り、第2・第3の二行連の各行は対句となっている律詩である。対句では、平行関係にある行は対照的な内容を持つが単語(漢字)の間の文法関係は同一でなければならない。近体詩は豊かな詩語を持ち、引喩に満ちていることが多く、歴史や政治を含む幅広い主題に亘っていた。8世紀、唐王朝の杜甫や李白などがこの詩型の達人であった。律詩の他に、4行から成る絶句、12行以上から成る排律などがあり、1行の文字数が5文字の「五言」と7文字の「七言」があるなどのバリエーションがある。
近体詩以前から存在した比較的自由な漢詩の詩体は古体詩と呼ばれ、楽府などの形式がある。
短歌柿本人麻呂詳細は「短歌」を参照
短歌は、「5-7-5 7-7」のパターンに構成された5つの部分から成る31の「音字」(モーラと同一の音韻単位)で作られる日本の押韻しない詩(和歌)の形式である。前半の「5-7-5」のフレーズ(上の句)と後半の「7-7」のフレーズ(下の句)の間(もしくは他の位置)で調子や題材に転換があるのが普通である(句切れ)。短歌は奈良時代には柿本人麻呂などの歌人によって詠まれており、この時期に日本は中国から借用した形式による詩が大半であった時代から抜け出し始めた。短歌は当初は日本の定型詩(倭歌)のうち短いものであり、公の主題よりも個人的な主題を探求するのに大いに用いられ、従ってより形式張らない詩語を有した。13世紀までには短歌は日本の最有力な詩型となり、今日でも広く詠まれている。日本語以外の言語で短歌を書く詩人は31音の規則は無視する場合が多い。
連歌と呼ばれる多人数による短歌の連作も行われた。また短歌形式で風刺・皮肉・滑稽を盛り込んだものを狂歌と呼ぶ。
俳句松尾芭蕉『おくのほそ道』のプレート詳細は「俳句」を参照
俳句は17世紀に俳諧における連句の最初の句である「発句」から発展して形成された、日本の大衆的な押韻しない詩型である。俳句は「5-7-5」のパターンに構成された3つの部分から成る17音字で作られ、縦1行に書かれるのが普通である。伝統的に俳句は、通常は3つの部分のいずれかの末尾に切れ字と呼ばれる流れを切る語が置かれ、また季語と呼ばれる季節の言葉を1つ含む。俳句の最も有名な唱道者は松尾芭蕉 (1644-1694) であった。芭蕉の句とその英訳例(6-5-5の16音節となっている)[57]:富士の風や扇にのせて江戸土産the wind of Mt. FujiI've brought on my fan!a gift from Edo
五七五形式で、季語や切れ字の規則もなくより庶民的な内容を扱うものを川柳と呼ぶ。 ルバーイイ
ルバーイイ