詩の形式(詩型)はモダニズムやポストモダニズムの詩ではより柔軟なものとなり、それ以前の時代と比べますます構造化されないものとなり続けている。現代の詩人の多くは目に見える構造や形式を避け、自由詩で書くようになっている。それでも、詩は散文からその形式によって区別されるものであり続けている。基本的な詩の構造への何らかの敬意は最も自由な形の詩にあってさえも見出される、そうした構造は無視されているように見えるのではあるけれども。同様に、古典的なスタイルで書かれた最良の詩であっても、重点や効果の面では厳密な形式からは逸脱しているものである。
詩に用いられる構造的な要素(ユニット)のうち主要なものとしては行、連もしくは段落(一定の行数を持たない連)、連や行の組み合わせで構成されるより大きな編 (en:canto
) などがある。より広範な視覚的表現やカリグラフィーなどが用いられることもある。これらの詩の形式の基本単位はしばしば結合され、ソネットや俳句のような、「詩型」や詩の様式などと呼ばれるより大きな構造を形成する。詩はしばしばページ上で複数の行に分割(改行)される。これらの行はメーターの韻脚数に基づいていたり行末の押韻パターンを強調していたりする。行は他の機能を持つこともあり、型通りのメーターのパターンに従って書かれていない場合には特にそうである。行によって、異なった単位で表現された思考を分離・比較・対比したり、調子の変化を強調したりすることができる。
詩行はしばしば連(スタンザ)と呼ばれる、含む行数によって名付けられる単位を構成する。2行から成るものは二行連、以降三行連、四行連、五行連、六行連、八行連となる。これらの詩行は互いに韻やリズムによって関連付けられる場合もそうでない場合もある。例えば、二行連は同一のメーターを持ち押韻する2つの行から成る場合も、メーターのみを共有する2行から成る場合もある。関連付けられた複数の二行連や三行連が1つの連の中にある場合も多い。アレクサンドル・ブロークの詩『夜、通り、街灯、ドラッグストア』。ライデンの壁。
パラグラフ単位で構成される詩もあり、こうした詩では確立したリズムを伴う規則的な押韻は用いられず、詩の調子はパラグラフ形式の中で確立されたリズム、頭韻、脚韻などの集積によって生み出される。規則的な押韻とリズムが用いられていた地域であってでも、多くの中世の詩はパラグラフ形式で書かれていた。
多くの詩型で、連は連結されており、1つの連の押韻構成やその他の構造要素が以降に続く連のそれらを決定する。こうした連結された連の例として、最初の連でリフレイン(ヴィラネルの場合は複数のリフレイン)が確立され、以降の連でそれを繰り返すガザルやヴィラネルなどがある。連結された連はまた詩をテーマ別の部分に分離することにも使われる。例えば、頌歌形式でのストロペー、アンティストロペー、エポードはしばしば1つもしくは複数の連に分離されている。このような場合や、その他構造が極めて規則的に作られている場合には、1つの連が完全なセンテンスと纏まりのある考えから成る1つの完成した思考を形成するのが普通である。
いくつかの場合、特に叙事詩の形式にあるような長大で秩序立った詩の場合には、連そのものが厳密な規則に従って構築され、結合される。スカルド詩では、「Drottkvatt」(「君主らしい詩」。en:Alliterative verse
参照)の連は8行から成り、各々が頭韻もしくは類韻により生み出される3つの「リフト」(lifts) を持っていた。2-3の頭韻に加えて、奇数行では子音の部分的な韻(母音は似ていない)が必ずしも語頭とは限らない位置で踏まれ、偶数行では組となった音節が必ずしも語尾とは限らない位置で中間韻を踏んでいた。それぞれの半行は正確に6つの音節から成り、各行はトロカイオスで終わっていた。複数の Drottkvatt の配置は、個々のそれの構成に比べれば遥かに緩やかな規則に基づいていた。印刷術の出現以前から、詩の視覚的な外見はしばしば詩に意味や深みを付与していた。折句は詩行の先頭やその他の特定の位置にある文字によって意味を伝えた。アラビア詩、ヘブライ詩、漢詩、和歌などでは、優美なカリグラフィーで書かれた詩の視覚的表現は多くの詩において重要な全体的効果を及ぼしていた。
印刷術が出現すると、詩人たちは大量生産によってさらなる視覚的表現を操れるようになった。視覚的要素は詩人の道具箱の重要な部分となり、多くの詩人たちは視覚的表現を幅広い目的に活用しようとした。モダニズム詩人の中には、ページ上での個々の詩行や詩行の纏まりの配置を詩の構成の不可分な一部とした者もいた。時としてこれは、さまざまな長さの視覚的なカエスーラを通して詩のリズムを補ったり、並置を作り出すことによって意味や多義性やイロニーを際立たせたり、また単純に審美的に心地よい形を作り出したりした[50]。最も極端な形としては、カリグラムや失象徴筆記 (en:asemic writing) のようなものまである[注釈 20]。
源順の歌の藤原定信による色紙(1100年頃)
ニザーミーの詩のカリグラフィー(16-17世紀頃)
ウィリアム・ブレイク『無垢と経験の歌』(1789)
ステファヌ・マラルメ『骰子一擲』(1897)(→全文)
ギヨーム・アポリネールのカリグラム(1915)
Marco Giovenale による asemic writing
詩語クリスティーナ・ロセッティ『「ゴブリン・マーケット」とその他の詩』(1862) のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティによるイラストレーション。『ゴブリン・マーケット』では童謡の形を取りながら複雑な詩語を駆使した。「ゴブリンたちを見てはだめ/その果物を買っちゃだめ/どんな土に生やしてるんだか/その渇いた貪欲な根っこを?」
詩語(en:poetic diction; 詩の用語法)は言語が使用される方式を扱う。音声だけでなく、内在する意味や、その音声や詩型との相互作用にも及ぶ。多くの言語や詩型は極めて独特な詩語を有しており、詩のための独自の文法や方言を持つまでに至っている。これには20世紀後半の韻律論で好まれたような通常の言葉遣いの厳密な使用から、中世やルネサンス期のマーカー(en:makar. スコットランドの詩人を指す)などに見られる非常に華美できらびやかな言語の用法までの幅がある。
詩語には直喩や隠喩(メタファー)のような修辞技法やイロニーのような口調なども含まれる[注釈 21]。アリストテレスは『詩学』において「何よりも偉大なことは隠喩の名手であることだ」と書いている[51]。モダニズムの台頭と共に、詩人たちの一部は修辞技法に重きを置かない詩語を選び、事柄や経験を直接表現し、口調を探求しようとした。他方で、シュールレアリストたちは修辞技法をその極限まで推し進め、誤転用を頻繁に使用した。
寓話(アレゴリー)は多くの文化において詩語の中核となっており、古典期、中世盛期、ルネサンス期の西洋で顕著であった[注釈 22]。しかしながら詩は、全面的にアレゴリー的であるよりもむしろ、完全なアレゴリーを構築することなしに言葉の意味や効果を深化させる象徴や引喩を含むこともある。
詩語の他の強力な要素としては鮮明なイメージを効果のために用いることが挙げられる。例えば、予期せぬ、あるいは有り得ないイメージの並置はシュルレアリスム詩(デペイズマン)や俳句で特に強力な要素となっている。鮮明なイメージはまたしばしば象徴性にも満ちている。
詩語の多くで、(ホメロスの「薔薇色の指をした暁(の女神)」や「葡萄酒の濃き海」のような)短いフレーズやより長いリフレインのようにして、効果を得るための語句の反復が行われる。このような反復は詩に頌歌の多くで見られるような厳粛な調子を付加し、あるいは言葉の文脈が変わればイロニーを交えたりもする。例えば、シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』のアントニーの有名なユーロジーでは、アントニーが繰り返す「ブルータスは高貴な男ゆえ」という言葉は真摯な調子から皮肉が滲み出るものへと変化してゆく[52]。 多くの文化がそれぞれ独自の詩型を発展させてきた。成熟・完結し、もしくは「広く認められた」詩型では、押韻構成やメーターやその他の要素は一連の規則に基づく。エレジーのように比較的ゆるやかな構成規則を持つものから、ガザルやヴィラネルのように高度に様式化された構造を持つものまでがある。
詩型