印刷技術が普及した後は詩の多くは活字で提供され「読まれる」ようになった[注釈 1]が、詩は文字の発明以前から存在したとも言われ[4]、韻文を朗唱、あるいは節を付けて歌うことが普通であった。漢詩に節を付けて詠じるものは詩吟と言う。幕末以降の日本では一時期流行し、剣舞を伴う事もあった。現代では、詩を朗読することを特にポエトリー・リーディングと呼ぶことがある。作者本人による朗読会や、音楽の演奏とコラボレーションを行うなどの試みもある。 詩および詩を巡る議論には長い歴史がある。アリストテレスの『詩学』のような詩を定義する初期の試みでは、修辞・演劇・歌・喜劇などにおける話法の用い方に焦点を合わせていた[5]。後世の試みでは、反復、詩型、韻といった要素に重点が置かれ、詩を散文から区別する美学が強調された[6]。20世紀中葉以降では、詩はより緩やかに言語を用いた根源的な創造活動として定義されることもある[7]。 詩では特有の形式や決まり事を用いることで言葉に別の意味を持たせたり感情的・官能的な反応を引き起こしたりすることが多い。類韻、頭韻、オノマトペ、韻律といった道具が音楽的もしくは呪術的な効果を生み出すために用いられる場合もある。両義性、象徴、イロニーやその他の詩語
概説
同様に、隠喩・直喩・換喩は[8]それがなければ全く別々であったイメージを共鳴させ、意味を重層化させ、それまで知覚されなかった繋がりを形成する。同種の共鳴は韻律や脚韻のパターンによって個々の詩行の間にも存在し得る。
詩の諸形式の中には詩人が書く言語の特徴に呼応した特定の文化やジャンルに固有のものもある。ダンテ、ゲーテ、ミツキェヴィチ、ルーミーのような詩人で詩をイメージすることに慣れた読者は、詩を韻を踏んだ詩行と規則的な韻律で書かれたものと考えるかもしれないが[注釈 2]、聖書の詩のようにリズムと音調を得るために別のアプローチを取る伝統もある。現代の詩の多くは詩の伝統に対してある程度は批評的であり[9]、音調の原則そのもの(やその他のもの)と戯れ、試し、場合によっては敢えて韻を踏まなかったり韻律を定めなかったりもする[10] [11][注釈 3]。今日のグローバル化した世界では、詩人たちはしばしば様式、技法、形式などをさまざまな文化や言語から借用している。
詩の美や力や効果は様式や技法や形式だけによるものではない。偉大な詩は、まさにその言葉によって聴衆や読者に思考と力強い感情を喚び起こすことで他から抜きん出る。たとえばハンガリーのヨージェフ・アティッラのような詩人たちは、センテンスに結合された言葉によって言葉自体の意味の総和よりも大きな意味に到達する非凡な詩を書いている。そうした言葉の中には日常会話で使われる諺になったものもある。時代や文化が変われば言葉の意味も変化するので、詩の当初の美や力を味わうのは難しい。
歴史アッカド語で書かれたギルガメシュ叙事詩の「大洪水」の石板(BC2千年紀頃)
芸術の一形式としての詩は文字の読み書きよりも先に存在したとも考えられる[注釈 4]。古代インドの『ヴェーダ』(紀元前1700-1200年)やザラスシュトラの『ガーサー』(紀元前1200-900年)から『オデュッセイア』(紀元前800-675年)に至る古代の作品の多くは、前史時代や古代の社会において記憶と口頭による伝達を補助するために詩の形で作られたものと思われる[4]。詩は文字を持つ文明の大半において最初期の記録の中に出現しており、初期のモノリス・ルーン石碑・石碑などから詩の断片が発見されている。ヴァルミキ。『ラーマーヤナ』の作者とされる
現存する最古の詩は紀元前三千年紀のシュメール(メソポタミア、現イラク)の『ギルガメシュ叙事詩』であり、粘土板や後にはパピルスに楔形文字で書かれていた[12]。その他の古代の叙事詩にはギリシア語の『イーリアス』と『オデュッセイア』、アヴェスター語の『ガーサー』と『ヤスナ』、古代ローマの民族叙事詩、ウェルギリウスの『アエネーイス』、インドの『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』などがある。