現存する最古の詩は紀元前三千年紀のシュメール(メソポタミア、現イラク)の『ギルガメシュ叙事詩』であり、粘土板や後にはパピルスに楔形文字で書かれていた[12]。その他の古代の叙事詩にはギリシア語の『イーリアス』と『オデュッセイア』、アヴェスター語の『ガーサー』と『ヤスナ』、古代ローマの民族叙事詩、ウェルギリウスの『アエネーイス』、インドの『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』などがある。
詩を詩として成立させている形式上の特徴は何か、良い詩と悪い詩との分かれ目は何かを決定しようという古代の思索家たちの努力は「詩学」――詩の美学的研究を生み出した。古代社会の中には、中国の儒教の五経の1つである『詩経』に見られるように審美的のみならず儀式的にも重要な詩的作品の規範を発達させたものもあった。近年でも、思索家たちはチョーサーの『カンタベリー物語』から松尾芭蕉の『おくのほそ道』までの形式上の差異や、タナハの宗教詩からロマンチック・ラブ詩やラップに至るまでのコンテクスト上の差異を包括できる定義を求めて苦闘している[13]。
コンテクストは詩学にとって、また詩のジャンルや形式の発達にとって決定的に重要である。『ギルガメシュ叙事詩』やフェルドウスィーの『シャー・ナーメ』[14]のような歴史的な出来事を叙事詩として記録した詩は必然的に長く物語的になる一方で、典礼のために用いられる詩(聖歌、詩篇、スーラ、ハディース)は霊感を与えるような調子を持ち、またエレジーや悲劇は深い感情的な反応を引き起こすことを意図される。その他のコンテクストとしてはグレゴリオ聖歌、公的・外交的な演説[注釈 5]、政治的レトリックや毒舌[注釈 6]、屈託のない童謡やナンセンス詩、さらには医学テクストなどもある[注釈 7]。
ポーランドの美学史家ヴワディスワフ・タタルキェヴィチ (en:W?adys?aw Tatarkiewicz) は論文「詩の概念」において、事実上「詩の2つの概念」であるところのものの進化を追跡している。タタルキェヴィチは「詩」という言葉が2つの別個なものに適用されており、この両者は、詩人ポール・ヴァレリーが観察したように、「ある地点で結合する。詩は……言語に基づく芸術である。しかし詩にはまたより広い意味もあり……それは明確なものではないので定義が困難である。詩はある種の『精神の状態』を表現する」[15]のだと指摘している。
西洋の伝統アリストテレス
古代の思索家たちは詩を定義しその質を評価する手段として分類を用いた。とりわけ、アリストテレス『詩学』の現存する断片は詩の3つのジャンル――叙事詩、喜劇、悲劇――を記述し、それぞれのジャンルでその基礎となる目的に基づき最高品位の詩を見分けるための規則を展開している[16]。後世の美学者たちは喜劇と悲劇を劇詩の下位ジャンルとして扱い、叙事詩・抒情詩・劇詩を3大ジャンルとした。ジョン・キーツ
アリストテレスの仕事はルネサンス期のヨーロッパのみならず、イスラム黄金時代の中東全域[注釈 8]にも影響を及ぼした[17]。後の詩人や美学者たちはしばしば詩を散文と区別し、散文とは反対のものであるとして詩を定義した。散文は概ね、論理的な説明への傾向と線形的な物語構造を持つ著作として理解されていた[注釈 9]。
これは詩が非論理的であったり物語を持たなかったりすることを意味するのではなく、むしろ詩とは論理的もしくは物語的な思考過程に忙殺されることなく美や崇高を表現する試みなのである。イギリスのロマン主義詩人ジョン・キーツはこの論理からの脱出をネガティブ・ケイパビリティ(en:Negative Capability、「消極的能力」)と呼んだ[18][注釈 10]。