評論家
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さらには文化人と総称される場合、「論客」や「オピニオンリーダー」として紹介される場合もある。経済評論家などでは大学教授シンクタンク研究員などのポストを持っていることが多く、この場合「経済評論家」よりも教授や研究員を名乗ることもある。報道番組の「ワイドショー化」によって、専門分野以外のコメントを求められることも多く、コメンテーターとの区別は難しくなっている(たとえばスポーツニュースで、取り上げるスポーツの数だけ評論家を用意することが困難である場合、メインの評論家である元野球選手や元力士が他のマイナーなスポーツでもコメントを求められることがある)。

また、主にマスメディアなどにおいては、評論活動をしていても「評論家」ではなく「有識者」という表現を用いる場合があるが、これは高度な学位をもつか、それと同様の実績が認められているか、そう考える場合である。一般に大学教授でも「専門家」として政府などに呼ばれるが、専門性を超えた教養主義的な立場から高い判断能力があることが「有識者」の条件となる。たとえば、当該の分野に対してその道の専門家さえ舌を巻くほどの極めて高度な学術的専門知識を持つ人物であったり、別分野であっても高い社会的ステイタスを持つ人物が評論活動を行う場合などである。専門家は、その分野にのみ通じていれば良く、その知識が要求されるのに対して、有識者や(本来の)評論家には、専門分野だけでない学際的な知見や教養主義的に幅の広い視点が要求され、高い合理性と思考力、判断力が求められ、要求される能力が異なる。また、外部の「評論家」であっても業界団体や政府・行政が設置した諮問機関に招請した場合には同様に「有識者」「学識経験者」などと称されることがある。
評論家の出自

フリーランスジャーナリストなどのライターがこのように自称する場合が多い(たとえば小林よしのり漫画家水間政憲芸術家出身。全く畑違いの日本近代史を論じている)。多くはその分野の真の意味での専門家プロフェッショナル、以下「プロ」)ではない。

本当のプロ、あるいはプロとして一定の業績を挙げてリタイヤした人物であれば相応の肩書きがあり、「評論家」を自称する必要がない。たとえば中曽根康弘塩川正十郎衆議院議員引退後の活動は政治評論そのものだが、彼らが政治評論家と自称することはないし、その必要もない(ただし、公明党委員長だった矢野絢也は、議員引退後に党との関係が切れたためか、あえて「政治評論家」を名乗っている)。プロ野球分野における野村克也楽天監督退任後のマスコミにおける活動もまた同様である。評論家は、普段は大学教授であったり作家であったり、その分野に詳しい人が兼務していることが多い[3]

評論家の出自には以下のようなものが多い。

ある分野での真の専門家となることを目指し専門的知識を習得したものの、なんらかの事情で専門家になることができず、転じて当該分野の評論家となって、その分野との関係を保っている者。たとえば、画家を目指したことがある美術評論家など。

ある分野における専門家やプロ・日本代表クラスの選手・指導者であったが、年齢による体力の衰えや契約・任期の終了など各々の要因で競技生活の一線を退き、現在は当該の分野で実活動を行っていない者。たとえば各種スポーツにおけるプロの元選手・元監督などという出自を持つ評論家。

マスコミにおいてその分野の報道や番組・記事などのコンテンツ制作に携わったことがきっかけで専門的知識を得て、その文筆・弁舌の能力をもって評論活動を行っている者。大相撲中継大相撲ダイジェスト番組アナウンサー出身の相撲評論家や、プロレス雑誌記者出身のプロレス評論家、アニメ雑誌の契約ライター出身のアニメ評論家、放送作家出身のお笑いもしくはアイドル評論家、ギャルママ評論家など。

『評論家になろう』で紹介されている14人の評論家の出自は、出版編集関係6人、テレビ・ラジオ関係5人であり、元々なんらかの形でマスメディアに関与していた・関与しようとしていた者が多い[4]。特に元専門家・プロという出自の評論家については、マスメディアからの仕事を請けたことで、マスメディアによって「評論家」という肩書きをつけられた者が少なからず見られる。
評論活動の問題点・批判

評論家の活動は対象とする分野の発展や研究に寄与することもあるが、一方でその評論の内容次第では、対象分野の発展を阻害するような事態も起こし得る。

たとえば、評論家が一定の実力(すなわち社会的影響力の強さ)を持つようになると、それを悪用して本来高水準である作品を低く評価したり、作者と評論家の交友関係や相性、あるいはジャンルの好き嫌い、すなわち評論家のごく個人的な嗜好や価値観によって、特定の作家や作品について不当に低い評価や過剰に高い評価を下すという事態も発生する様になる。評論である以上、自身の私見・感想や意見をその文言に盛り込むのは当然ではあり、また評論家の権利と言えるが、客観性が著しく欠如した不当な評価を繰り返した場合、その評価を下した評論家自身が「正しい判断の出来ない評論家」としてその権威と説得力を喪失してしまう事もある。例えば、映画評論家のおすぎは、作品や俳優に対して極端に好き嫌いがはっきりしている人物であり、それが評論内容にも顕著に現れるため、その批評姿勢については他の同業評論家等からも批判を受けている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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