言語哲学
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このころには論理学は事物(res)に関する学問であると考えられていて、それに対して論理学は言葉・音声(vox)に関する学問だという意見は奇抜なものだと受け取られたとされる[14]。12世紀に入り、そうした運動の中でアベラルドゥス(アベラール)は、それまで漠然と使用されてきた「普遍」といった概念自体を問いかけ、大きな議論を引き起こす(普遍論争)。アベラルドゥス以前のヨハネスやロスケリヌスが音声(vox)という用語を使ったのに対してアベラルドゥスも初期はそれに従ったが途中からはsermoやnomenという用語を使い、彼とその弟子たちはnominalesと呼ばれるようになった。この違いは、ロスケリヌスらとその批判者との対立が普遍や範疇を言語哲学の問題として扱うか形而上学の問題として扱うかという点にあったのに対し、アベラルドゥスが存在論的態度表明を持ち込んだことによる[15]

アベラールは『文法学(Grammatica)』という名の著書を著した。これは現在では失われているが、彼は論理学の議論に文法学の用語・手法を持ち込んだ。このことは音声論者たちに影響を受けてのことだったと推測されている[16]。対して、論敵のシャンポーのギヨームは文法学と論理学を切り離して論じる傾向があり、これが12世紀に支配的な傾向だった[16]

カロリング朝ルネサンスの時代にはドナトゥスの著書が文法学のテキストとして使用されていたのに対して、この時期にはプリスキアヌス『文法学教程(Institutiones grammatice)』が使われるようになった。しかし13世紀にいたるとダキアのボエティウスのように、プリスキアヌスの規範文法学では満足できないものが現れ、言語的法則や規範の原因を問う思弁文法が興隆することになる[17]。それに伴って、文法学の分野で様態(modus)に着目する様態論者(modistae)が現れた。彼らの言う様態は表示の様態(modus significandi)、理解の様態(modus intelligendi)、存在の様態(modus essendi)の三つに区別され、理解の様態は表示の様態の原因で、存在の様態は理解の様態の原因だとされた。また、今日の哲学者が現実について知るために言語の本性について考察するのに対し、様態論者は言語現象の原因を明らかにするために現実について論じたという[18]。しかし様態論者の主張のうち、表示の様態は後にオッカムの剃刀によって剃り落されてしまう、というのはオッカムは表示の問題を精神-事物間でのみ扱うために言葉の表示の機能は不要となるからである[19]

そうして、イスラーム圏に保持されたギリシア哲学諸文書の流入・翻訳を機に(実際には、ビザンツ所有の文献の流入の影響もかなり大きかったというが)いわゆる12世紀ルネサンスが起こる。その動きは、イスラーム圏の進んだ科学探求の成果の導入のみならず、それまで論理学者としてのみ知られてきていたアリストテレースの広範な業績の再発見でもあり、これらの新たな思潮の消化・吸収と反発が13世紀を形成することになる。

そして14世紀には独自な発展があり、それは例えばオッカムの論理学等に見ることができる[20]。オッカムの思想の内ではオッカムの剃刀の他に代示理論もよく知られている[19]。代示理論はオッカム一人が唱えたものではなく長い期間研究されたもので、研究が蓄積するとともに理論が精妙ではあるが煩瑣なものとなり、ルネサンス以降批判の的となった。20世紀以降の言語哲学では再評価されている[21]

これらスコラ哲学における論理学や文法学の発展の中には、当時の流れから言えば傍流ではあるが例えばラモン・リュイ (ラテン語名:Raimundus Lullus ライムンドゥス・ルルス、1235-1316) がおり、語と語を組み合わせる機械によって全世界の全真理を知ろうとする「ルルスの術(普遍的な偉大な術 ars magna generalis)」の発明を得るに到った。
デカルト

その後、近世哲学の創始者ルネ・デカルト (Rene Descartes, Renatus Cartesius 1596-1650) らは言語を軽視した(彼のすべてを疑う方法的懐疑において 'je suis, je existe'(「わたしはある、わたしは存在する」)、'je pense, donc je suis'[注釈 2]といった表現が、彼の直観を正しく表現しているか否かについてさえ全く疑いを持たないところに、その時代の状況が明白に現れている。ただし彼の論理思想はポール・ロワイヤル学派において展開され、当時のフランス・カトリック思想界で基本的教科書として使用された[注釈 3]

同様の言語軽視はイギリス経験論者にも見られる。彼等は、アウグスティヌスの名辞と名辞の連接としての命題観を受け継ぐ。ただその意味対象(指示)として、対象物それ自体にかえて、彼等の認識論に従って観念に置き換えたのみである。このパタンはジョン・スチュアート・ミルを通じて中後期のラッセルまで続く英国言語哲学の欠陥であり続けることになる。
ライプニッツ

ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leipniz, 1646?1716, 関連主著『論理学』[22])の普遍数学 (mathesis universalis) の構想はきわめて先駆的なものであった。少数の無定義概念と定義により諸科学の諸概念を、それらからなる少数の無証明公理と論理とのみから全知識命題を導出することを試みた。そして、普遍記号学と推論計算との二分野からなる基本普遍学の構築を企てた。とはいえ、無神論者・異端者としての誹謗をおそれた彼は、一般書『弁神論』の他は、哲学関係の著作を一切発表しなかったため、長らく言語哲学への影響はきわめて限定されたものであった。遺稿からの評価では、可能世界論存在論意味論との並行において論じている。その構想は、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』、クリプキの可能世界意味論様相論理の先駆であるとともに、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}コンピュータ言語への大きな貢献を成し遂げているとされている[要出典]。


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