言文一致
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大正末期には言文一致運動は完成したと考えられ、「口語体」と改まった[1]。しかし、戦時色が濃くなるにつれ大本営発表などで文語調が一時的に再び多く登場した。法律分野では、21世紀に民法現代語化が始まるまで文語体が多く残っていた[2]日本正教会訳聖書は現代に至るまで文語を貫いている。「日本語#文語文と口語文」も参照

1885年2月25日の『東京学士院雑誌』に「文章論を読む」を発表し、神田孝平が、言文一致を説く。言文一致の語の初見か。

1886年3月21日、物集高見が『言文一致』を刊行。最初の言文一致論の著述か。

1887年7月、山田美妙が『以良都女』に「風琴調一節」を連載(9月まで。未完)。言文一致体小説。

1888年12月20日、黒田太久馬・福西四郎らが、言語取調所を設立、文体一致、言文一致普通文体の制定を目標とする。のち1890年10月、解体。

1900年6月18日、『教科適用 幼年唱歌』初編上巻 納所弁次郎・田村虎蔵共編 (1902年9月30日まで4編、10冊)「桃太郎」「金太郎」など言文一致唱歌のはじまり。

例文

文語口語
創世記元始に神天地を創造たまへり
地は定形なく曠空くしてK暗淵の面にあり神の靈水の面を覆たりき
神光あれと言たまひければ光ありき(明治元訳聖書)はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(口語訳聖書
刑法38条2項[3]罪本重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ其重キニ従テ処断スルコトヲ得ス重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。

中国・中華圏「文学革命」および「白話#白話運動」を参照
脚注[脚注の使い方]
注釈
出典^ 水野葉舟「言文一致」 - 青空文庫
^ “六法ようやく口語体で統一へ 「スルコトヲ得」やめます”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2018年5月18日). オリジナルの2018年5月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180518002252/https://www.asahi.com/articles/ASL5K75X0L5KUTIL02V.html 2023年9月24日閲覧。 
^ 文語体の法律 - 京橋・宝町法律事務所

関連文献

奥田靖雄 「標準語について」(雑誌『教育』1957年、通算77号に掲載。のち、『読み方教育の理論』むぎ書房, 1974年, ISBN 9784838400638 に再録。)

関連項目

ダイグロシア

標準語

書記言語

文語体

散文

白話小説白話字、白話詩(中国語版、英語版)

新文化運動

正書法

綴り字#表音主義、綴字改定(英語版)、言語改革

仮名遣国語国字問題

外部リンク

二葉亭四迷『余が言文一致の由来』

日本大百科全書『言文一致』 - コトバンク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『言文一致運動』 - コトバンク

デジタル大辞泉『言文一致体』 - コトバンク










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