解離性同一性障害
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ただしこれには1990年代に入って一部修正する研究も出始めている[注 20]

柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソンらが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることであるとする[33]。両者の違いについては「イマジナリーフレンド」の章でもう一度ふれるが、空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした資質、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、空想に逃げ込み、重症の場合はDIDになると理解されている[注 21]
レジリエンス・解離しない能力

「解離の資質」は「脆弱性」 (vulnerability) ともいいなおされる。その「脆弱性」の反対の概念が「レジリエンス」(resilience)である。レジリアンスとも表記される。精神医学の世界では、ボナノ (Bonanno,G.) の「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い[34]

何故これが問題になるのかというと、例えばPTSDである。1995年のアメリカの論文によると、アメリカ人の50% - 60%がなんらかの外傷的体験に曝されるという。しかしその全ての人がPTSDになるわけではなく、なるのはその8% - 20%とある[35]。2006年の論文では、深刻な外傷性のストレスに曝された場合、PTSDを発症するのは14%程度と報告されている[34][36]。では、なる人とならない人の差は何か、というのがこのレジリエンスである。

2007年にアーミッド (Ahmed) が、目に見えやすい性格的な特徴を「脆弱因子」と「レジリエンス因子」にまとめたが[37]、そこで特徴的だったことは「レジリエンス因子」は「脆弱因子」のネガではないということである。「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む[注 22]。レジリエンスはいわば自発的治癒力である。この問題は、単になりやすい人、なりにくい人の差だけでなく、その治療にも大きなヒントを与えるものとして注目されている[38]
人格の解離
人格の区画化

「ネガティブな心的内容」を離人症状や体外離脱でやり過ごしたり、その記憶を切り離すことは本能的な防衛反応ともいえ、一時的なもので済めば障害とはいえない。しかしそれが恒常化すれば、抑圧し切り離した記憶もまた自分の一部であるので、何らかの形で自分を縛っている。それがさらに進んで切り離した自分の記憶や感情が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身が意志をもったひとつの「わたし」となる(以下本稿では「私」と「わたし」を区別して表記する)。ひとりの人間(人格)の記憶と感情が区画化[注 23]され、壁[注 6]で隔てられた状態である。

柴山雅俊は「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を「身代わり部分」「犠牲者としてのわたし」、「切り離した私」を「存在者としての私」と呼んでいる。「犠牲者としてのわたし」は心の中で生き続けている「まなざしとしてのわたし」でもある。「存在者としての私」は「まなざしとしてのわたし」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す[39]

「切り離した私」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離した私」のことを知っていることが多い。そして「切り離されたわたし」が一時的にでもその体を支配すると、表では人格の交代となる。しかしほとんどの場合、周りの者には「急に性格が変わる」と思われるだけで別人格だとは気づかれない。「元々の私」「切り離した私」を主人格 (host parsonality)、または基本人格 (original pasonality) と呼ぶ。それに対して「切り離されたわたし」が解離した別人格であり、交代人格 (alter personality) という。交代人格がその体を支配していることもある[注 24]。交代人格しかいない場合もある[注 25]

バン・デア・ハート (Van der Hart) らの構造的解離理論では「あたかも正常に見える人格部分 (ANP)」と「情動的人格部分 (EP)」に分けている。ANPは日常生活をこなそうとする人格部分 (personality parts) であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。そしてその組み合わせにより、構造的解離は3つに分類される[40]。詳細は「解離性障害#構造的解離理論」を参照
交代人格

交代人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分、寂しい気持を抱える自分などである。先に述べたように、「切り離した私(主人格)」は「切り離されたわたし(交代人格)」のことを知らない。そして、普段は心の奥に切り離されている別の「わたし(交代人格)」が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、「切り離した私(主人格)」はその間の記憶が途切れ、戻ってきたときにはその間に何があったのかを知らない[注 26]

交代人格は「元々の私」が切り離した主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次のようなものである。

主人格と同性の、同い年の交代人格。ただし性格が全く異なる。

そのほか、受け持つ事件が起こったときの年齢の交代人格が現れることもある[注 27]

子供の交代人格もよく出てくる。4 - 7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている[41][注 28]

他の交代人格の存在を知らず、別の交代人格が表に現れているときの記憶を全く持たない交代人格がある。主人格もそうであるので、幻聴健忘に困惑しても本人は交代人格がいることに気がつかない。

逆に主人格や、他の交代人格の行動を心の中から見て知っている交代人格もある。

怒りを体現する交代人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ交代人格。リストカット睡眠薬自殺を図ろうとする自傷的な交代人格もそのなかに多い。性的に奔放な交代人格が現れることもある。

異性の交代人格なども現れる。

逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な交代人格が現れる場合もある。ラルフ・アリソンがISH(内的自己救済者)と呼んだものもこの範疇になる。

危機的状況で現れて、その女性の体格では考えられない腕力[注 29]でその子を守る交代人格もある。

それらの交代人格は表情も、話し言葉も、書く文字も異なり[注 30]、嗜好についても全く異なる。例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。絵も年齢相応になる[注 31]。また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。顔も全く違う。勿論同じ人間なのだから基本となる骨格、目鼻立ちは同じではあるが、単なる表情の違いとは全く異なる。そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す[42][注 32]

多重人格といわれてもひとつの肉体に複数の人格が宿ったわけではない[注 33]。あたかも独立した人格のように見えても、それらは一人の人格の「部分」である。例えていえば人間の多面性の一面一面が独立してしまったようなものであり、逆にその分、主人格は「感情」が薄いことが多い[43][注 34]。なお、治療者はそれぞれの理解と治療方針に基づいて様々な交代人格の分類を行うことがあるが、一般化はできない。
DIDの治療
兆候

以下は治療者にとっての診断基準ではなく、あくまで周囲の者にとっての兆候である。診断を行うのは医師である。しかし誰かが気づき、治療者につなげなければ治療は始まらない[注 35]。なお、本人にとっての兆候は柴山雅俊監修の『解離性障害のことがよくわかる本』に解りやすくまとめてある[44]

突然「貴方だれ!」と
親に対してはあまりないが、友人、恋人[45]、夫または妻、あるいは会社の同僚に対して突然「貴方だれ!」と言い出し、例えば会社の中などで急に怒り出す、突然座り込んで泣く、息ができないと言い出しパニック状態になる[46]。その会社に勤務していることを知らない交代人格が職場で突然表に現れれば、当然同僚の顔は知らず、どこにいるのかも判らない。

年齢・性格にそぐわない態度
例えば成人の女性であるのに、恋人や夫に突然子供のような振る舞いで甘えてくる。通常の甘えとは明らかに異なり、4歳とか6歳児のようなしゃべり方をすることもある[47]。自分の娘より子供のようになることもある[48]


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