解離性同一性障害
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柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画[注 15]が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果[23][注 16]、DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷では学校でのいじめであるとする[注 17]。「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」[24][注 18]に追い込まれ、逃げることもできずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。

自分を肉体的、あるいは精神的に傷つけた相手が、本来なら自分を癒すはずの相手であるために心の傷を他者との関係で癒すことができない[注 19]。こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする[25]。ジェフリー・スミス (Smith. J.) は2005年の「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でこう述べている。「解離性記憶喪失を感情的トラウマのための一種の回路遮断機と見なすならば、記憶喪失の引き金となりうるほどの深刻なトラウマは何か、という疑問が生じる。第一の、そして最重要の要素は、私見では孤独感、すなわち安心してその事象を分かちあえる人間の欠如である[1]。」

スミスが扱ったケースはいかにもアメリカ的な児童虐待であったが、それでも柴山と同じ結論に至っている。「安心していられる場所の喪失」も心の傷ではあるが、PTSDでイメージしやすい戦争体験、災害犯罪被害事故性暴力などと比べると性格が異なる。先に触れたネグレクトもこの問題に関係する。ここで、クラフトの四因子論でいえば4番目の「十分な慰め」の欠如が、むしろ重要な要因として浮かび上がってくる。
愛着理論からの視点

最近では幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。発達心理学愛着理論(Attachment theory)では、Aタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン (Main,M.) とソロモン (Solomon,J.) が発見したDタイプ(無秩序・無方向型)が新たに加わる。1991年にはバラック (Barach,P.M.M.) が愛着関係(attachment)とDIDとの関係を示唆し[26][27]、あるいは2003年にライオンズ-ルース (Lyons-Ruth.K.) が、明確な心的外傷がなくとも、Dアタッチメント・タイプにあった子供は解離性障害になる可能性が高い[28][29]とするなど、後徐々にこの方面での研究が進んでいる。そしてリオッタ (Liotti.G.) は2006年に、このDタイプを示すような養育状況が、解離性障害への脆弱性を増大させるというモデルを提唱し[30][31]、解離性障害の(従ってDIDでも)精神療法は第一にこのアタッチメントに焦点をあてるべきであると主張した詳細は「解離性障害#愛着との関係」を参照
解離の資質

次にクラフトの四因子論ではDIDの条件であった「解離する潜在能力・催眠感受性」である。1982年に、アメリカの心理学者ウイルソン (Wilson,S.C.) とバーバー (Barber,T.X.) は「ファンタジーを起こしやすい性格:理解画像、催眠、および超心理学現象の影響[32]」という論文で、催眠に掛かりやすい人は空想傾向があり、かつ深く没入すると発表した。これを「空想傾向」 (fantasy-proneness) という。ここでいう「空想傾向」とは普通の人にも当てはまるレベルではなく、その傾向が顕著な一群であり、人口の約4%が該当とする。彼らは幼児期から空想の世界に浸り、実際に体験したことと空想の記憶を混同してしまう傾向がある。イマジナリーフレンド(後述)と遊び、小さな妖精や守護天使、樹木の精霊などが実在していると信じ、遊んでいた人形や動物のおもちゃが実際に生きていると信じていたという。ただしこれには1990年代に入って一部修正する研究も出始めている[注 20]

柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソンらが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることであるとする[33]。両者の違いについては「イマジナリーフレンド」の章でもう一度ふれるが、空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした資質、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、空想に逃げ込み、重症の場合はDIDになると理解されている[注 21]
レジリエンス・解離しない能力

「解離の資質」は「脆弱性」 (vulnerability) ともいいなおされる。その「脆弱性」の反対の概念が「レジリエンス」(resilience)である。レジリアンスとも表記される。精神医学の世界では、ボナノ (Bonanno,G.) の「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い[34]

何故これが問題になるのかというと、例えばPTSDである。1995年のアメリカの論文によると、アメリカ人の50% - 60%がなんらかの外傷的体験に曝されるという。しかしその全ての人がPTSDになるわけではなく、なるのはその8% - 20%とある[35]。2006年の論文では、深刻な外傷性のストレスに曝された場合、PTSDを発症するのは14%程度と報告されている[34][36]。では、なる人とならない人の差は何か、というのがこのレジリエンスである。

2007年にアーミッド (Ahmed) が、目に見えやすい性格的な特徴を「脆弱因子」と「レジリエンス因子」にまとめたが[37]、そこで特徴的だったことは「レジリエンス因子」は「脆弱因子」のネガではないということである。「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む[注 22]。レジリエンスはいわば自発的治癒力である。この問題は、単になりやすい人、なりにくい人の差だけでなく、その治療にも大きなヒントを与えるものとして注目されている[38]
人格の解離
人格の区画化

「ネガティブな心的内容」を離人症状や体外離脱でやり過ごしたり、その記憶を切り離すことは本能的な防衛反応ともいえ、一時的なもので済めば障害とはいえない。しかしそれが恒常化すれば、抑圧し切り離した記憶もまた自分の一部であるので、何らかの形で自分を縛っている。それがさらに進んで切り離した自分の記憶や感情が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身が意志をもったひとつの「わたし」となる(以下本稿では「私」と「わたし」を区別して表記する)。ひとりの人間(人格)の記憶と感情が区画化[注 23]され、壁[注 6]で隔てられた状態である。

柴山雅俊は「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を「身代わり部分」「犠牲者としてのわたし」、「切り離した私」を「存在者としての私」と呼んでいる。「犠牲者としてのわたし」は心の中で生き続けている「まなざしとしてのわたし」でもある。「存在者としての私」は「まなざしとしてのわたし」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す[39]

「切り離した私」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離した私」のことを知っていることが多い。そして「切り離されたわたし」が一時的にでもその体を支配すると、表では人格の交代となる。しかしほとんどの場合、周りの者には「急に性格が変わる」と思われるだけで別人格だとは気づかれない。「元々の私」「切り離した私」を主人格 (host parsonality)、または基本人格 (original pasonality) と呼ぶ。それに対して「切り離されたわたし」が解離した別人格であり、交代人格 (alter personality) という。交代人格がその体を支配していることもある[注 24]。交代人格しかいない場合もある[注 25]

バン・デア・ハート (Van der Hart) らの構造的解離理論では「あたかも正常に見える人格部分 (ANP)」と「情動的人格部分 (EP)」に分けている。ANPは日常生活をこなそうとする人格部分 (personality parts) であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。そしてその組み合わせにより、構造的解離は3つに分類される[40]。詳細は「解離性障害#構造的解離理論」を参照
交代人格

交代人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分、寂しい気持を抱える自分などである。


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