明治まで気比神宮の社家八家の内の一家であり、角鹿姓は島家のみである。
角鹿(島)教實(しまのりざね)戦国武将。元亀元年に天筒山の戦いで戦死。
角鹿(島)計富(しまかずとみ)『気比俗談』の著者。氣比神社大祝。
島房男(しまふさお)医師。
明治以降に島家は官制下で神職をやめ、現在、角鹿国造家を継承しているのは島家の分家である旧萬性院家(角鹿家)が奉仕する福井県丹生郡越前町気比庄に鎮座する氣比神社の社家であり、唯一同族が社家として残っている[3] [4]。
角鹿尚計(つのがなおかづ)氣比庄・氣比神社宮司・福井市立郷土歴史博物館長・筆名・足立尚計。
系譜
脚注
出典^ 『式内社調査報告』
^ 「角鹿国造家系図」
^ 「日本の名族・名将」『歴史読本』第57巻11号 新人物往来社
^ 「氣比神宮と神功皇后」『季刊 邪馬台国』第98巻 (株)梓書院