角川書店
前身株式会社角川書店
現況KADOKAWAのブランド
設立日2013年(平成25年)10月1日
主要出版物角川文庫
定期刊行物月刊少年エース
月刊ニュータイプ
出版以外の事業映像事業
関係する人物角川源義(創業者)
角川春樹(元代表取締役社長)
大洞國光(元代表取締役社長)
角川歴彦(元代表取締役社長)
佐野正利(元代表取締役専務)
福田峰夫(元代表取締役社長)
本間明生(元代表取締役社長)
井上泰一(元代表取締役社長)
井上伸一郎(元代表取締役社長)
椎名保(元代表取締役専務)
佐藤辰男(元取締役、KADOKAWA元社長)
松原眞樹(元取締役、KADOKAWA元社長)
関谷幸一(元社員)
村川忍(元社員)
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角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。
本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店(英: Kadokawa Shoten Publishing Co., Ltd.)についても解説する。 1945年11月10日、国文学者の角川源義により創業[1]。出版第1号は佐藤佐太郎歌集「歩道」。1949年に「角川文庫」を創刊し、岩波書店の文庫編集者だった長谷川覚を招き入れる。1952年、「昭和文学全集」の成功により文芸出版社としての地位を確立した。1954年4月2日、株式会社角川書店(2019年以降の社名はKADOKAWA Future Publishing、法人番号:1010001013874
概要
1970年代に入って角川文庫を文芸路線から横溝正史を初めとする一般大衆向けに路線転換し、成功を収める。1975年に角川春樹が社長就任後、翌1976年には映画製作に進出。書籍を映画化しテレビコマーシャルを利用して大々的に販売するメディアミックス戦略を成功させ、日本映画界に角川映画旋風を巻き起こした。その後、映画製作関連して映像パッケージの製作や音楽著作権ビジネスにも進出した。
1980年代からは『ザテレビジョン』や『東京ウォーカー』などの情報誌の企画なども行う様になり、80年代後半には漫画雑誌やゲーム情報誌を多数創刊。1988年には角川スニーカー文庫を創刊し、後に関連会社(アスキー・メディアワークス・富士見書房)も含めてライトノベル市場の国内最大手となった。
2003年4月1日に持株会社制度に移行し、角川ホールディングス(2019年以降の社名はKADOKAWA Future Publishing)に社名変更して純粋持株会社となる一方、事業会社として新規に株式会社角川書店(二代目法人)を設立する。
角川書店(二代目法人)は事業再編の一環として分社化が進められ、2004年1月に映画製作を担当していたエンタテイメント部門を同グループ傘下の角川大映映画(現:角川映画)へ譲渡、翌2005年10月に富士見事業部を富士見書房(二代目法人)として分社化、2006年4月にはテレビ情報事業を角川ザテレビジョンに、ウォーカー事業部と広告事業部を角川クロスメディアに分社化。2007年には書籍事業部・アニメコミック事業部・カルチャーコンテンツ事業部を新設の株式会社角川書店(三代目法人)、雑誌事業部(CDでーた、DVDでーた、花時間)は角川マガジンズ(初代法人)、映画関連子会社は角川ヘラルド映画(現:角川映画)にそれぞれ分社化され、角川書店(二代目法人)は株式会社角川グループパブリッシングに商号変更した。
角川書店(三代目法人)は2011年1月に角川映画と合併し、同社の映画事業と映像ソフト事業を継承。2013年10月1日にKADOKAWA(現:KADOKAWA KEY-PROCESS)に吸収合併され、ブランドカンパニーとなる。2015年4月1日なKADOKAWAが社内カンパニー制を廃止し、「角川書店」は文芸書のブランド名の一つとなり、社名からは姿を消した。
沿革関連会社の統廃合図
角川書店
1945年(昭和20年)11月10日 - 角川源義が東京都板橋区小竹町の自宅応接間を事務所として角川書店を創立。出版第1号は佐藤佐太郎の「歌集歩道」。