角川映画
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映画評論家の増當竜也によれば、観客から支持されても映画評論家や映画マスコミからは「ヒットはしても中身はない」と言われた角川映画のイメージは、『人間の証明[注釈 9]・『野性の証明[注釈 10]の「証明2部作」によって決定づけられた[65][66]

脚本家の野沢尚は、1995年の著書で「角川映画が現れるまでの70年代半ばといえば、日本映画は『男はつらいよ』と『トラック野郎』と百恵・友和映画…いわば中規模のプログラムピクチャーで何とか体裁を整えていた。ひょっとしたらその頃、日本映画は『もう作るのをやめたい』という気分だったかもしれない。そこに角川春樹が登場した。要するに、リスクを背負って映画を作ろうとする彼の情熱(広義の意味で)を、日本映画は徹底的に利用したのだ。そして、惜しげもなく金を注ぎ込んでくる門外漢に、ただただ圧倒された。極論すれば、角川映画にすがることで、日本映画はその後の10年以上を騙し騙しで存続できたのだ。あの程度の存続なら、その頃に壊れた方がよかった…と斜に構えて言う人がいるかもしれないけど、あの一群の映画があってこそ、花開いた才能もあったはずだ。角川映画に対するアンチテーゼとして、マイナーリーグから現れた映画作家も一方でいたはずだ。角川映画はなくなる。狂人であろうが怪人であろうが、角川さんのような、何かに取り憑かれてリスクを背負っちゃう人間を、日本映画が再び利用しない限り、この状況は変わらない。そういう人間が登場して、また日本映画はそれから10年間を騙し騙しで続くのだ」などと評していた[67]

マッドハウス社長であった丸山正雄は、角川アニメが子供向けではないアニメ映画の制作されるきっかけになったとし、アニメーションの歴史においても大きな影響を与えたとの考えを述べている[68]。また、角川春樹がスタッフの自由にやらせ、古いものを壊し新しい要素を取り入れていったことも重要であったとしている[68]
配給収入

No.公開年タイトル配給収入[注釈 11]
(単位:億円[注釈 12]
11976年いぬ犬神家の一族15.6
21977年にん人間の証明22.5
31978年やせ野性の証明21.8
41979年よみく蘇える金狼金田一耕助の冒険10.4
51979年せん戦国自衛隊13.5
61980年ふつ復活の日24.0
71980年やし野獣死すべし(東映との提携作)/ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中日本テレビ放送網との提携作)7.3
81981年すろスローなブギにしてくれ(東映との提携作)3.9
91981年ねらねらわれた学園/東宝映画『ブルージーンズメモリー』12.5
101981年あくり悪霊島蔵の中9.3
111981年せいセーラー服と機関銃キティ・フィルムとの提携作)[注釈 13]/東映映画『燃える勇者』23.0
121982年かせ化石の荒野(東映との提携作)2.6
131982年かま蒲田行進曲(松竹との提携作)[注釈 14]この子の七つのお祝いに(松竹との提携作)17.6
141982年よこ汚れた英雄(東映との提携作)/伊賀忍法帖(東映との提携作)16.0
151983年けん幻魔大戦10.6
161983年たん探偵物語時をかける少女[注釈 15]28.0
171983年さと里見八犬伝23.2
181984年しよ少年ケニヤ(東映との提携作)/短編アニメ『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』6.5
191984年はれ晴れ、ときどき殺人湯殿山麓呪い村3.9
201984年めいメイン・テーマ愛情物語18.5
211984年まあ麻雀放浪記(東映との提携作)/いつか誰かが殺される(東映との提携作)5.1
221984年たふWの悲劇天国にいちばん近い島15.5
231985年かむカムイの剣ボビーに首ったけ2.1
241985年とも友よ、静かに瞑れ結婚案内ミステリー1.4
251985年そう早春物語二代目はクリスチャン12.5


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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