741年(天平13年)、行基がこの地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったと伝えられる。江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていた。
観音寺は1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造に伴って鴨居の亀崎(現・横須賀市鴨居3丁目)へ移転、1986年(昭和61年)には火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っている。
2019年9月、新たに制作された観音像が海蝕洞に安置された。 観音埼灯台は、1869年(明治2年)に建設、初点灯した日本最初の洋式灯台である。その後、関東大震災など二度の地震で倒壊し、現在の灯台は3代目にあたる。灯台内部の見学も可能(有料)。 詳細は観音埼灯台の項を参照。 ガリヴァー旅行記で、「ガリヴァーが日本に入港した場所ザモスキが観音崎である」としての町おこしが2000年代半ばから行なわれている。Xamoschi (ザモスキ) とKannosaki 「カンノサキ」の筆記体が「似ている」ことなどによるとされる[4][5][6]。町おこしを推進する市民団体では「夢のあるエピソード」としている[6]。これを受け、横須賀出身のミステリー作家山口雅也も、ガリバーが観音崎に上陸するシーンを描いた作品『狩場最悪の航海記』を発表している[7]。2009年のガリバー観音崎上陸300周年にテーマ曲「FANTASIA ?華麗なガリバー旅行記?」が作られている。
観音埼灯台
高さ:19m
光達距離:20海里
ガリヴァー旅行記による町おこし「ガリヴァー旅行記における日本」も参照
ギャラリー
夏季は海水浴客で賑わう
砲台跡のひとつ、「北門第一砲台跡」
観音崎南岸の「たたら浜」
大蛇が棲んでいたと伝わる海蝕洞
観音埼灯台
アクセス
バス
京急本線馬堀海岸駅・浦賀駅より京浜急行バス「観音崎」下車
自動車
横浜横須賀道路馬堀海岸ICから走水方面へ約10分
脚注・参考文献[脚注の使い方]^ “「埼」と「崎」はどうなってるの?
^ ⇒観音崎 - 神奈川県観光協会
^ “津波予報区について