ウイグル語訳は、残簡が大谷探検隊により敦煌にて発見されているが、漢訳経典からの翻訳とみられている[5]。 阿闍世という名の太子が、悪友の提婆達多にそそのかされて、父の頻婆娑羅王を幽閉し餓死させようとした「王舎城の悲劇」を導入部として、王の后である韋提希夫人の願いにより釈迦が、極楽世界や阿弥陀仏、観音・勢至の二菩薩を観想する13の観法を説く。そして、極楽世界に往生する者を「上品上生」から「下品下生」まで九品に分類し、最後に釈迦が阿難に向って「無量寿仏の名号を、常に心にとどめ続けよ」と説く。
内容
注釈書
慧遠 - 『観無量寿経義疏』2巻
智 - 『仏説観無量寿仏経疏』(『観経疏』伝智撰[6])
吉蔵 - 『観無量寿経義疏』1巻
道綽 - 『安楽集』2巻
善導 - 『観無量寿経疏』(『観経四帖疏』)4巻[7]
法然 - 『観無量寿経釈』
注・出典[脚注の使い方]^ SATデータベースT0365_.12.0340c27 - 0346b21/佛説觀無量壽佛經 宋西域三藏?良耶舍譯
^ 藤田宏達「『觀無量壽經』の撰述問題」印度學佛教學研究 1969年 17巻 2号 p. 465-472 pdf
^ 西川利文*「『観無量寿経』の構成に関する若干の考察」佛教大学総合研究所紀要07号 131-146 2000/03/25 [1]