観光客
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当時は治安が悪く道中には海賊強盗が跋扈していたうえに、国際紛争が頻発しており、現地の売春賭博で身を持ち崩す者も多数いたが、旅によって得られる経験とその後のキャリアは危険を補って余りあるものであった[21][23][24]。また産業革命による経済成長に合わせて温泉地や海浜での夏季滞在も行われるようになり、格別の用務のない自発的な旅行が上流社会で定着していった。これらの社会現象がツーリズムの萌芽であるとされる[25]

ツーリズムという言葉が登場したのは1811年のことで、『Sporting Magazine』に掲載されたのが始まりであるとされる[10]。興味本位での見物行為が知識人の顰蹙を買っていたのか、当時は侮蔑的ニュアンスを含んでいたという[26]

近代に入ると欧米の若者たちにもファッションとして普及し、蒸気機関による海上・陸上の交通が発達するに連れて行き先も世界各地に及ぶようになった。1840年代にイギリス人トーマス・クックトーマス・クック・グループの創業者)が鉄道を利用したパッケージツアーを始めたのが、旅行産業の誕生であるとされる[21][23][27]
日本における観光の歴史「日本の観光」も参照
前史拾遺都名所図会』(1787)[注釈 3][30]

日本では律令国家成立後に五畿七道の行政区画と駅伝制が導入され、整備された街道を通じて古くから人々の往来が行われていた[31]

中世には富と権力を手に入れた上皇や貴族らにより平安京から南都七大寺への参拝が行われるようになったのを皮切りに、神社仏閣への巡礼が行われるようになった[31]

近世に入り社会が安定した江戸時代中期以降、江戸幕府や諸藩は信仰や医療[注釈 4]を目的とした旅を容認していたことから、伊勢神宮への参詣が身分を超えて広がり、の代表者が参拝を行う代参講や集団で伊勢を目指すお蔭参りが定着した。それらは次第に名所巡りや飲食を楽しむ旅へと変容し、「旅」「行旅」「遊山」などと呼ばれた。寺社や景勝地を紹介した各地の名所図会や、『東海道中膝栗毛』のような旅行文学も刊行された[23][31][33]
「観光」という用語の登場ギザの大スフィンクス前で記念撮影する横浜鎖港談判使節団

古代中国の書物である『易経』に「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)[注釈 5]」との一節があり、「観光」はこれを略した成句であるというのが定説である[1][5][8][13][34][35]。したがって、明治期に西洋から輸入された多くの概念が和製漢語に当てはめられ理解されていったのに対し、観光という言葉そのものの起源は東洋にあるということになる。

「観光」という用語の使用が確認できる最も古いものは、1855年にオランダから江戸幕府に献上された洋式軍艦「観光丸」である。誰がどのようにしてこの艦名をつけたのか明らかになっていないが、珍しさや誇らしさを表したり「国の威光を海外に示す」という意味が込められていたと考えられる[1][34]。また、明治時代初めの米欧使節団を率いた岩倉具視は、報告書である『米欧回覧実記』冒頭に「観」「光」と揮毫している[注釈 6][37]。岩倉は後に、東京奠都により衰退した京都の経済再生の一環として、洋風迎賓館を建てて外国の賓客をもてなすことを政府に献策している[36][38]。なお、「観」という漢字には「示す」という意味もあり、「外国の要人に対して国の光を誇らかに示す」という意味も込められているとする説もある[1]

このほかに佐野藩の藩校「観光館」や国産品奨励を目的として設立された「観光社」など固有名詞の中での使用例があるが、用語として広く普及したとは言い難い[注釈 7][34]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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